先日、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)を覗いた折、ちょいとばかり足を延ばして久しぶりに旧新橋停車場鉄道歴史展示室を覗いたのですが、ちと他のことにかまけて、話があとさきしましたでうねえ。

 

ともあれ、『日本海縦貫線100年展~知られざる大動脈~』という企画展が開催中だったものでして。鉄道の何々線が〇〇周年てな展示があちこちであって、全部はとても見に行けないものの、タイミングさえあえばついつい(笑)。

 

 

しかしまあ、日本海縦貫線とは聞きなれない用語ではありますが、だからこそ「知られざる大動脈」なのでしょうけれどね。フライヤーの説明には「北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線とそれぞれ異なる目的で建設された各線が、一体化することで「日本海縦貫線」として機能し、東海道・東北ルートと並ぶ日本の鉄道の骨格を形成する鉄道ルート」とありまして、言わばこれの呼称(正式な路線名ではないものと思われます)が「日本海縦貫線」であるようで。

 

現在はもっぱら貨物輸送に利用されて、最長距離としては九州・博多の貨物ヤードから北海道・札幌までを結んで、超長距離貨物列車が運行しているようでありますよ。旅客輸送の方はそこまで長くはなくとも、かつて臨時列車として一世を風靡した「トワイライトエクスプレス」(大阪・札幌間)がこの路線を走破していたと。

 

名前だけは「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」に引き継がれているも、もっぱら山陽本線・山陰本線を行ったり来たりする運行のようですから、日本海縦貫線を走り抜けた本来とはずいぶんと異なる代物になっておりますけれどね。

 

と、ここで思い浮かぶのは日本海縦貫線と言いながらも、上に見た通過路線を見ますと「あらら、山陰本線が入っとらん?」となりますなあ。そもそもから言って日本海縦貫線の構想は江戸期の北前船に代わる輸送手段の構築にあったそうですけれど、大阪と東北・北海道を結ぶことが肝要であって、必ずしも山陰地方は寄らなくもいっかな…ということかも。山陰本線は今でも非電化単線区間があったりしますものねえ、「本線」と言われつつも。その一端を鳥取県の倉吉駅で、昨年(2024年)垣間見ることになりましたなあ。

 

それでも敦賀に鉄道を通すこということだけは、明治の早々、鉄道草創期にすでに決定事項だったようで、かなり早い時期に敷設工事が行われている。最初は敦賀と琵琶湖畔長浜の間で、琵琶湖自体は舟運に頼み、その後また鉄道で京・大阪だったらしい。その後には東海道本線とつながるわけですが。

 

このあたりさらりと触れておりますが、琵琶湖の北端から日本海沿岸の敦賀へ、大きな地図で見る限りさほどの距離ではなさそうなものの、この区間の鉄路敷設は難儀を極めたらしいですな。今では車道に転用されている柳ケ瀬トンネルの開削が、明治日本の技術では大変な難工事であったらしい。考えてみれば、琵琶湖の北の山々はずいぶんと北寄りながら、日本海と太平洋とに注ぐ川の分水嶺だったりするのですし。

 

太平洋に注ぐ川は琵琶湖経由で流れるので、河川法上では琵琶湖は川(の一部)となる…とは、これまた昨年大阪・枚方市に訪ねた淀川資料館で知ったわけですが。

 

ところで、先には山陰本線のローカルなさまを思い浮かべましたですが、一方で新潟から先、羽越本線とこれに続く奥羽本線の区間、これまた「本線」とはいえ、何とも言えない鄙なものとなっておりますなあ。一度だけ、秋田から青森まで特急いなほで移動したことがありますけれど、秋田駅で列車を待つ間、待合室のTVから流れてくる演歌の歌声がとてつもなくしっくりきてしまった、てなこともありまして。

 

ま、関東の者としてはこの北へ北へと走る路線のことにもそっと触れたいところながら、こちらのあたりは7月19日以降の後期展で取り扱われるようす。もう一度行ってみる?ま、そこまでしなくても…と、少々の惑いを感じる『日本海縦貫線100年展』なのでありました。