ちょいと前に聴いたレクチャーコンサート「ショパンとオペラの意外な関係」@たましんRISURUホール・立川でもって、「19世紀の前半にパリはオペラの都ともなっていったのであるなあ」というあたりが頭の片隅に残っていたものですから、こんな本を読んでおるところでありまして。
著者はパヴィア大学クレモナ校の名誉教授で「音楽史」などの科目を担当しているようでして、どうやらこの本はその教材であるようす。巻末には(といって、読むのはそこまで追いついておりませんが)本書の理解を深めるための示唆でありましょう、12項目に及ぶ「読書課題」が示されておりまして、この部分だけで100頁超とは、学生さんたちもなかなかに大変でしょうなあ。もちろん学生でなくとも、訳者あとがきまで含めた全体で550頁を超えるという分厚い書物はただ読むだけも大変です(笑)。
ともあれ、19世紀のイタリアとフランスの音楽史と言いつつ、版元の本書紹介には「ロッシーニ、マイヤーベーア、ベルリオーズ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ……。19世紀のイタリア・フランス両国で豊かに花開き、パリやイタリア諸都市の歌劇場で上演された偉大なオペラ作品群はどのように誕生したのか」てなふうにある。イタリアはなるほどですけれど、やっぱりフランスもオペラの時代だったのですなあ。
そんなわけで、内容はオペラに通じた方ならばすーっと入るのかとも思いますが、半可通にはひと苦労。ですが、例えば、イタリアからやってきてフランス楽壇を席巻したと言われるロッシーニの人となりについて、こんな記述を見かけますとそれはそれで興味深くもありまして。
…美食と冗談にいそしむ享楽主義の懐疑的人物というよく知られたイメージは、…おそらく自分で育むのに手を貸したイメージであり、そのイメージを、悲劇的な孤独のなかで患った神経症を隠す仮面として利用していたのである。…われわれが垣間見るのは、人生の快楽を好む一方で、将来の神経症を予告する承認欲求に突き動かされて、熱心に自分の仕事に取り組む若者という人間像である。
ロッシーニには、若いうちに稼ぐだけ稼いでとっとと引退、後は美食やらなにやらで悠々自適ということを、そのでっぷりした体躯と見える肖像写真から想像してしまうわけですが、どうやらそればっかりの人ではないようですなあ。早くに引退してしまうというのも、音楽史の流れでみると時代が過ぎていくことに鋭敏な感覚を持っていたからとも言えなくもなさそうで。
時に(旧来のオペラの伝統の上にあるイタリアとは異なって)フランスでは「グランド・オペラ」という形が出来上がってくるのですな。「グランド」というとおりに大袈裟な作りといってはなんですが、例えばワーグナーが『タンホイザー』をパリで上演するにあたってバレエ音楽を書き加えたという具合に、バレエが必須で入っていたりするようで。で、フランスではパリでの上演に適う「グランド・オペラ」の様式を踏まえた作品が生み出されることになるわけですが、ロッシーニはこれに『ウィリアム・テル』で応えるも、この作品を最後に引退してしまったと…。
一方で、グランド・オペラ様式の立役者は数々おりましょうけれど、分けてもその名を知られたのがジャコモ・マイアベーア(本書ではマイヤーベーア)であったということで。と、ここからはマイアベーアのお話に。
この人(マイアベーア)の事例が音楽史全体のなかでとりわけ特異なものであるのは間違いない。作品が当時の一番重要な芸術表現(グランド・オペラ)の一つとして称賛され、没後40年近くも生き残ったのに、その後はほぼ完全に忘れられてしまって、つい最近になって初めて、いくつかの散発的な再演がその状況を解消し始めたところなのである。
なるほど、マイアベーアの名前は(オペラ半可通でも)聞いたことがある。曲も聞いたことがないわけではない(オペラそのものではなしに、『預言者』の中で演奏されるという「戴冠式行進曲」ただ1曲ですけれど)。ですが、19世紀前半のパリで絶大な人気を誇ったというわりにはあまりの凋落ぶりでもあろうかと。そこには、ワーグナーのユダヤ批判に晒されて、独墺主流の音楽史の中で葬り去られたこともあるようで。
マイアベーアはベルリンの裕福な銀行家の家に生まれたユダヤ系ドイツ人で…となりますと、なにやらメンデルスゾーンと出自の近しさを感ずるところながら、メンデルスゾーンの家がキリスト教に改宗していた(それでも迫害は絶えなかったと…)のに対して、マイアベーアの家の方はユダヤ教徒であり続けたことも、敵が多くなる由縁でしょうかね。
また、ドイツにいるときから音楽に頭角を現していたマイアベーアは、ウェーバーとも交流して、将来は「ドイツの」国民オペラ創出に期待が掛けられる存在であったところ、イタリアに行ってしまい(しかもヤーコプという名前をイタリア風にジャコモと名乗るようになり)、さらにはパリでフランス独自のグランド・オペラ様式の作り手と名をはせるに至っては、「おいおい、ドイツの国民オペラはどうなってしまったのだ?」と裏切者扱いされる始末でもあったようで。
とはいえかつてイタリア・オペラが手掛けてきた。ちまちました恋愛劇とは異なる壮大な物語をオペラで描き出す点では、ワーグナーへの影響無しとは言えないわけながら、そのワーグナーにまで批判されるとは…てもありましょうか。
ヨーロッパのユダヤ批判が根深く、それも階級の上下を問わずにあったことは、ドレフュス事件を扱った映画『オフィサー・アンド・スパイ』や、ドレフュスが再審のために戻ってくるという時期のパリにおける民衆のごたごたを描いたフランスTVドラマ『パリ警視庁1900』を見ても想像されるところかと。長年にわたってこうしたことが背景になって、マイアベーアの沈潜は長く続くことになったのでしょうなあ。
てなことで、最近になって上演されるようになってきているというマイアベーアの作品、例えばMETライブあたりでお手軽に接する機会が来たら逃さず見に行ってみたいものだと思ったのですが、あいにくとこれから始まる2024-25シーズンでもリストには挙がっておらないようす。取り敢えず、音楽だけでもCDで聴いてみますかね…って、CDプレーヤーはいかれたままだった…。