「京阪淀川紀行」と銘打って長々綴ってまいりました旅の思い出話もようやっと最終回にたどりつきました。最後は帰路の話をつらつらと。
京都・伏見から宇治川、淀川のあたりをあちこち巡ってたどり着いた大阪で、予て懸案の山王美術館の洋画コレクションを堪能したわけですが、後は帰途に就くばかりとなったところで、預けた荷物をピックアップしにホテルへ戻る道すがら、京阪京橋駅へ出るのに大坂城京橋プロムナードを通ったのですな。
要するに寝屋川を渡る歩行者専用橋といったところですが、なかなかに眺めがよいではないのと思いつつ通りすがっておりますと、途中に「河内名所圖會」なる解説板に出くわしたのでありますよ。
土地勘の無い者としては「この辺って河内国だったのかいね?」と思いかけたものの、要するに橋の下を流れる寝屋川つながりの話であったようで。解説板をクローズアップしてみますと、こんな絵柄が載っていたわけでして。
古くから大阪の人々に「野崎さん」と親しまれた野崎観音への参詣模様が描かれている。桜の花の匂う頃、寝屋川に沿って舟や徒歩で上っていく「野崎参り」は、庶民にとって春のレクリエーションでもあり、元禄の頃に最も盛んとなった。
説明文を読んで「おお、そうかそうか。野崎参りは屋形船は寝屋川だったのだあね」と。しばらく前に歌舞伎の『新版歌祭文』から東海林太郎の『野崎小唄』を思い出したてなことを書いたことがありますが、「あれがこの寝屋川かぁ」と気付かされるに及んで、「この寝屋川でも野崎参りの船が運航したりすれば、また乗りに来るのになぁ」とも。至って川と船は好みだもので(笑)。
とまあ、そんな思い巡らしのことを書いていてはいつまでも終わりがこないことになりそうですが、ここからテンポアップしまして、帰路は大阪空港からフライト利用ということで。離陸した飛行機は大阪市街の上空を通り、「おお、淀川が見える、見える!」と名残が惜しまれたのですなあ。
3時間かけた舟下りの出発点・枚方も、飛行機ではあっという間に通り過ぎ、石清水八幡宮に近い三川合流域が早くも見えてきたという。
「ここだよ、ここ!」なにせ中央に京都競馬場が見えていて、その近くだから間違いなしと一人で盛り上がっておるのも束の間、飛行機は待ったなし、すでに琵琶湖が見えるようになってきたのでありますよ。
恥ずかしながら?琵琶湖にはいっかな立ち寄ったことがないものですから(滋賀県は通過したことしかない…)、また機会を見つけて出かけるかな…と、旅の締めくくりらしくなってきたところで、この先なぜか窓の外は雲海ばかりになっていったというこの奇縁(?)。
で、釘付けであった窓から目を離し、しばしリラックスタイムということに。「ジェットストリーム」で耳を楽しませておりましたよ。
やがて、下降を始めたなと思えば雲海を突っ切り、次に見えてきたのは「おや?もう隅田川?」と。
ですが、隅田川を左手に見ながら流れ下る方向へ進むということは、都心部の真上を通過するのではなかろうかと。今までこんなルートで飛行したことあったかなあ…というところで、はた!と気付いたのは「これが新ルートであるか?」といことなのですなあ。2020年3月に運用が始まるも、南風の時の専用経路で、さらに午後の3時間だけしか使えないという条件があるだけに、めぐり合うのは珍しいのではないでしょうかね。
池袋、新宿を過ぎて、これは赤坂あたり。緑が広がっているところは迎賓館赤坂離宮でありましょう。正しく都心の真上を飛んでおりましたよ。なんとはなし、このルートって差しさわりは無いのであるかな…と思って乗っておりましたですが、つい先ごろにはこの飛行ルートの差し止めを求める訴訟が東京地裁で却下されたという報道がありましたですねえ。オスプレイが横田基地と横須賀基地を結んで飛ぶルートに近いところに住まっている者としては、訴える気持ちも分からなくもないような。現在はかなり限定的な運用がなされているようですけれど、既成事実化されてしまわないといいのですが…。
と、最後の最後は全く別の話になってしまいましたですが、とにもかくにも「京阪淀川紀行」はこれにて全巻の読み終わりにございます。長らくお付き合いくださいました(とすれば…)ことに感謝を申し上げたく存じます。では、また別の旅で。