このところ、何やら浮世絵づいている流れとなっておりますが、ここでもまた…。
山形へ出かけるといって天童市に立ち寄ることにいたしましたのは、前々から広重美術館が気になっていたもので。気持ちとしては天童駅に到着後、ただちにここへというほどではありましたですが、あいにくと休館日(火曜休館とは珍しい)だったのでして、天童での一夜が明けた翌朝、そそくさと出向いたのでありますよ。
わりと大きな建物ながら、1階部分はカフェやオーガニックな品々を扱うコンセプトショップ(ミュージアムショップとは別)、市民利用のためのレンタルスペースなどが入る地域の複合施設といったところですかね。「美術館は2階です」と、ショップの方が教えてくれました。
階段を上がっていきますと、ちと美術館の方が慌て気味?開館時間早々で、これほど早くやってくる来場者もあまり無いことなのか、あちこち電気を付けてまわったりされており…。と、それはともかくとして、まずはいったい何ゆえ天童に歌川広重の美術館があるのであるか。広重を有名にした東海道ゆかりとして由比宿に設けられた静岡市東海道広重美術館とも、地域に関わりあるコレクターから寄贈を受けた作品展示を中心とする那珂川町馬頭広重美術館(栃木県)とも異なるいわれがあるようですなあ。
江戸時代後期、江戸詰の天童藩士や藩医の田野文仲と交遊のあった歌川広重(1797~1858)。当時、天童藩織田家は財政が苦しく、藩内外の裕福な商人や農民に献金を募ったり、借金をしたりしていました。その御礼や返済の代わりとして江戸で有名な浮世絵師、広重に肉筆画を描いてもらい下賜しました。この作品群は現在「天童広重」と呼ばれています。(同館HP)
広重としては(小藩とはいえ)大名家からの依頼に、もちろんそれなりの報酬を期待して手掛けたのでしょうけれど、財政逼迫の天童織田家。どうやら広重に代金をきちんと支払っておらないようで、途中でそのことを広重も悟ったか、巧拙さまざま(弟子の作もあるという話も)な「天童広重」でもあるのだとか。
そうはいっても広重の肉筆画であるわけで、興味の惹かれるところではなかろうかと。宿泊ホテルの方(先に天童そばの店に案内してくれた専務?さん)も、「いわゆる浮世絵が見られるのかと思うと、あそこの美術館は肉筆画なんですよね…」と(当人にとっては思惑違いだったようで残念そうに)言っていましたが、こちらとしては弥増す期待というわけで。
さりながら、結果からいえば「ここにはほとんど肉筆画は無いんです」という受付(学芸員?)の方の言葉に少々脱力することに。ホテルの方が見たのは、肉筆画を集めた展覧会だったりしたのかもしれませんなあ…。時期が異なれば展示も変わるのは常でありまして、このときの展覧会は「学んで、旅して、たのしむ浮世絵」(会期は7/29で終了)というもの、浮世絵入門編といった内容だったのでありますよ。
辛うじて展示の最終章に「肉筆浮世絵の世界」というコーナーがあったものですから、些かなりとも期待に応えてもらえるものか…と思ったものの、そうはうまい話になりませんですねえ。
展示室内は基本的に撮影不可でしたですが、作品を接写するのでなければということで、かように。一対の軸を含めて4点の作品がある…のですが、これも要するに歌川広重として思い浮かべる初代広重は奥の一点のみ。左へ順に二代目、三代目、五代目の作品であるとは、もはや「天童広重」に当たるものではないような…。
とまあ、残念感を放出しまくっておりますが、「天童広重」をともかくもとすれば、浮世絵入門編の展示そのものはそれなりに面白かったですし、二代目、三代目は聞いたことがあるものの、五代目までいたのであったか…というあたりも含めて、次回に改めて展示を振り返っておこうと思いますですよ。