山形の山寺を訪ねて奥之院に詣で、開山堂・五大堂を巡って下りにかかるわけですが、その山形では今、大雨で大変なことになっているようでありますね。ここで振り返っております旅の最中にも雨で停滞を余儀なくされた日もあったと、後に触れることになるのですけれど、そんなようすとは比べようもないくらいの状態に立ち至っておるようで。妙な天気図が一日も早く変わることを願いつつ、話は先へ進めることに。
で、山寺の石段を下り始めたところ、なんとも下る方は速いものですなあ。まあ、途中で見かけるあんなものこんなものを往路に立ち止まって見てきてしまったからでもありましょうけれど、仁王門まですいすいと。
仁王門を潜り抜けますとこの先、石段の登り路とは別に、なぜかしら下山路が指示されておるのですなあ。参拝者が多いときのために行き届いた配慮とも言えますが、下山路の方は結構な山道然とした佇まいであって、足元不如意の老齢な方々にはしんどかろうなあとも。
ただ、折しも山寺の山域ではあじさいの花盛り状態で、下山路はちょっとしたあじさい寺気分を味わうこともできましたですよ。
と、山道歩きもほんの束の間、ほどなく下山路は御手掛岩のところで登りの石段と合流してしまうとは…。大した迂回路でもありませんでしたなあ。
左の道は下山路になるので「登ってくるな」サインのX印が見えてますが、それはともかく、この先は笠岩、姥堂を横目で見ながら下る、下る。出口の表示に従って山門脇の寺務所(土産物売り場併設)を抜け、根本中堂から続く平坦な道に戻ってきますと、根本中堂の方へ戻ってしまう方もいましたなあ。たぶんどこの駐車場を利用したかによっても道筋は変わるのでしょうけれど、本来的には根本中堂とは反対方向へ進むというのが手順であるようで。なにしろ、専用の出口が設えてあるのですから。その名も「抜苦門(ばっくもん)」と。
ここで「さあ、出口、出口」とやみくもにそそくさと通り抜けてしまうのはもったいない!というのが、抜苦門なのだそうでありますよ。なにしろ、門を抜けるに左右、真ん中と三か所あるうち、どこを通り抜けるかによって抜苦(くるしみを抜き去る?)、つまりはご利益のほどが変わってくるということで。
左を抜ければ長命祈願、真ん中は(万能と思しき)福徳祈願、右側を通ると出世祈願というのですが、何しろ門の上に貼り付けてある御札の小さいこと。そりゃあ、気付かぬ人ばかりではありましょうねえ。個人的には、毎度寺社での願い事は「世界平和」という漠たるものですので取り敢えず真ん中を潜り抜けておきましたですよ。
でもって、最終的にはこの石段を下って来てようよう、山寺完全下山となりましてございます。ですが、駅方向へ戻る途中、もう一カ所だけ山寺の由来に大きく関わるものがあるのですなあ。対面堂とその後ろの大岩、対面石というものです。
この大石は対面石といわれ、貞観二年(八六〇)慈覚大師が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎(ばんじばんざぶろう)と大師がこの大石の上で対面し仏道を広める根拠地を求めたと伝えられている。
なお、この対面石前のお堂は、慈覚大師と磐司磐三郎の両像を安置し、山寺開山の功績を永く称えるために建立された。
狩人といえば殺生を生業としていたわけですけれど、慈覚大師の威徳に触れて狩猟をすっかりやめ、仏道に精進するようになったとか。ちなみに磐司磐三郎とは何ともはや厳つい名前ですが、一説に磐司と磐三郎という兄弟であったてな話もあるようで。ともあれ、慈覚大師の人柄を強く語り伝える逸話と言えましょうかね。
ということで、長くかかってしまった山寺参詣記ですけれど、実のところ石段1015段に予めびびりもあったところながら、登って下りて、さほどでもなかったなあと。これも、つい先ごろ伏見稲荷大社やら石清水八幡宮で山歩きをした賜物かもしれませんですなあ。取り敢えず、お次は山寺芭蕉記念館を訪ねてみたというお話に移ってまいります。