今回の鹿児島の旅は鹿屋から大隅半島を南下して突端の佐多岬、その後半島の先端部をフェリーなんきゅうで渡って薩摩半島の指宿に至り、これを北上するという形で、ほぼほぼ錦江湾(鹿児島湾)を周回するように巡ってきておりますが、いよいよ終盤となりまして。知覧(は内陸でしたけれど)の特攻平和会館やら武家屋敷庭園やらを流した後は一気に鹿児島市の中心部へとやってまいりました。

 

 

夕暮れに差し掛かる頃合いにチェックインしたホテルの窓からはこんなふうに城山が一望できまして、「ああ、鹿児島であるなあ」と。さりながら、鹿児島といって城山よりも先に誰しも思い浮かべるものがありましょうね。一泊の後に、取るものも取り敢えず向かったのは桜島でありましたよ。

 

今でこそ大隅半島側から陸路で入ることができるところながら、元々はその名の通り、鹿児島市の沖合に浮かぶ島であった桜島にはフェリーで渡ることに。頻発しているようすからは人やモノの行き来が頻繁であることが窺えますけれど、普段から噴煙を噴き上げているリアルタイム活火山の島にたくさんの人が生活しておられるのですなあ。

 

 

フェリーの船上から見晴らす桜島はなんともどっしりとして存在感(西郷隆盛のような?)がありますですね。同じ活火山でも、長らく噴火しておらない開聞岳とは姿かたちも印象も悉く異なるように思います。ですが、桜島の荒々しいさまは、フェリーで渡った後、立ち寄った随所で思い知られされることになるのですよねえ。

 

 

さて、桜島の方から来た船が到着しますので、乗っている方の船はほどなく出発となります。毎日100便以上、24時間運航しているというこのフェリー、到着船を見ていますと、2層に積載した車の送り出しが実にスムーズでしたなあ。てなことを思い返しているうちに、15分程度の乗船時間は過ぎ去って桜島のターミナルに到着、物足りないくらいのあっという間です。早速、桜島へGo!ですな。

 

 

下船早々、ほとんどの車が流れていく方向とは違うようではありましたが、それもまたよし、向かったのは島内にいくつかある「展望所」と言われる施設のひとつで、桜島港からは最も近い「烏島展望所」なのでありました。

 

 

今では桜島の裾野に位置する展望所(要するに展望台ですな)になっておるわけですが、「烏島埋没跡」と石碑に刻まれているとおり、「かつて海の上にあった鳥島が大正溶岩に埋め尽くされた場所」であると。

 

 

すっかり桜島本体に飲み込まれて、溶岩流はさらに沖合へ。海の方を見れば、鹿児島市内を遠望する手間に、1914年の大噴火以来、100年余りをかけてできた森が広がっておりましたよ。

 

 

ということで、ここの展望所ではどうしても海側をみてしまうのでして、桜島のお山の方を望むにはまた別の展望所に向かおうということに…と、観光で来た者としてはそんなふうに流してしまうわけですが、桜島観光ポータルサイト『みんなの桜島』にある紹介を引いて記憶に留めることにいたしましょうね。

大正噴火の溶岩は、海を埋め立てながら進み、沖合約500mにあったここ「烏島」を飲み込みました。噴火後約100年となる現在、辺りは溶岩と植物に囲まれ、かつて島であったことが思い出せないほどです。噴火のすさまじさを静かに語る場所のひとつ。記念の碑が建っています。