さてと、薩摩英国館のアフタヌーンティーでほっとひと息ついたところで、知覧の武家屋敷庭園を巡るべく町なかをそぞろ歩いて…。

 

 

車道と歩道の間には、かく錦鯉の泳ぐ清流の水路が設けられておりまして、なかなかに風情を醸しておりますな。人が通りすがっても、ぱくぱくと口を開けて近寄って来ず、悠然たる構えであるとは、鯉のしつけ?もよろしいようで(笑)。でもって、肝心の武家屋敷庭園というのは、この車道に沿った裏道に連なっておるとのことでありましたよ。

 

 

日中の時間帯(10:00~16:00)は観光客の便宜でしょう、車の往来は不可であると。沿道およそ700mにわたって軒を並べた武家屋敷のうち7軒が庭園を公開しているそうな(ちょいと前に訪ねた佐倉の武家屋敷で公開されているのは3軒だけでしたな)。ともあれ、この石橋を渡って裏道へと進んでいきます。

 

 

 

なんとも穏やかな佇まいで薩摩の小京都と言われる所以なのだと思いますが、いささか南国の香りが感じれらる気がして、的外れかもながら個人的には琉球の雰囲気があるようにも思えたものです。ちなみに上の写真ではひとっこひとり、歩いている人がいませんですが、たまたまそういうタイミングでシャッターを切ったというだけでして、のんびりとそぞろ歩きを楽しむ方々はおりましたよ。が、特攻平和会館ででくわした外国人旅行者を多く含んだ結構な人出はいったいどこへ?行ってしまったのという印象も。外国人の方々にはこちらの方が「おお、ジャパネスク!」となるように想像しますが…。

 

ところで、軒並み古い建物であるも非公開が多いのは、今でもお住まいの方々がおいでだからということのようで。もっとも、公開されている屋敷もやはり住まっている方はおいでのようですので、知覧の屋敷群は基本的に内覧はできずに建物外観と庭園をこそ見てくださいましということですな。唯一、室内が見られるのは(住む人がいなくなって、市が管理している?)こちらだけでしょう。

 

 

「知覧型二ッ家」という独特の建築様式が分かりやすい例ですね。庭園を公開中の屋敷群も同様の様式で建てられているものの、庭園を含めた屋敷周りに結構手が込んでいて、建物全体の形を見通しにくかったものですから、こららを事例として。

 

 

 

ちなみに、現在進行形でお住まいの屋敷の方が全体像をみとおしにくいと言いましたのは、例えばですが、入口の門から入るとすぐに、かようなとうぜんぼがされているからでもあるのですなあ。

 

 

 

生垣ののっかったものもあれば、無骨に石積みだけのものもあったりしますが、「知覧武家屋敷庭園有限責任事業組合」HPには「屋敷入口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)があります」との紹介があり、先にも触れた琉球の雰囲気云々というのもあながち的外れではなかったということになりましょうかね。…と、知覧の武家屋敷庭園を巡ると言いつつも全く庭園の話になっておりませんが、その一端に触れておきませんと片手落ちになってしまいましょうから、取り敢えず。

 

 

 

 

それぞれ異なる屋敷の庭園ながら、枯山水を基本として造られたありようは似た感じとも言えましょうか。遠景の山を借景に取り込んでいたりするのは(屋敷も場所にも左右されますが)より広がりが感じられて、なお良しというところですかね。

 

おっと、ちとあとさきになってしまいましたが、そもそも知覧の武家屋敷は…というあたり、さきほどの組合HPに紹介されているところを最後に引いておくといたしましょう。

江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、 鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその一つです。