鹿児島県大隅半島でふたつの滝を見物したのち、ひたすらに南へと移動を続けることに。目指すは最果ての地・佐多岬でありますよ。沿道風景はこんな具合で、南国感に溢れているとともに、荒平天神からはまだ小さく見えた対岸の開聞岳が立派な山容を見せるようになってきています。

 

 

南国感を醸す要素のひとつは植物にもありますですね。ひたすら車を走らせて(ま、自身は便乗しているだけですが)たどり着いた佐多岬の駐車場脇には、こんなに大きなガジュマルの木が気根をだらだらに垂らしまくって繁っているのですし。

 

 

と、およそ北緯31度地点という南方にある佐多岬(ちなみに東京は北緯35度)は、このガジュマルの木のすぐ先で臨むことができるのでありますよ。突先の方にはちょこんと佐多岬燈台が見え、その手前、画面では右手の高まりの上には展望台が設置されておりますな。その向こうはひたすらに大海原です。

 

 

この眺めでもって満足して帰る方もおいでのようでしたけれど、ぱっと見、展望台までが「アップダウンがあって、遠そう…」と感じるからでしょうかね。傍らにある休憩所の中に置いてあったガイドマップによりますと、展望台までは約800mとは見た目ほどには遠くないような。まずは、こちらのトンネルを潜り抜けて遊歩道が始まるのでありますよ。

 

 

で、800mくらいならとトンネルを潜り抜けたものの、やはり雄川の滝同様に昨2023年の台風6号の影響か、展望台への近道は閉鎖されておったのですなあ。結果、「自然とふれあいコース」と名前はおだやかながらアップダウンを繰り返すことになる道筋を通りなさいと。途中にあった御崎神社(開基はなんと和銅元年、708年であると)への参道などもご覧のとおり、ガジュマルの気根に取り巻かれて大いに自然とふれあっているようす。そんな中、鳥居の近くには首だけせごどんがやおら現れたり…。

 

 

 

この日ばかりはことのほかいい日和であったが故に、すっかりひと汗かくことになってしまいましたが、何とか佐多岬展望台に到達。海に向かって突き出た、いかにもな岬の雰囲気に包まれておりますよ。

 

 

 

解説板には(もちろん条件が良ければでしょうけれど)南へ点々と連なる島々を見晴るかすことができるとあるのですけれど、なまじ暖かい日とあって海上は霞がかかったようになっておりましたなあ。

 

 

よおく目を凝らしてみますと、辛うじて「あれが種子島であるかなあ…」くらいには。まあ、期待値が島影を見せているだけかもしれませんですが、ともあれ、ひとつの突端に到達です。

 

 

駐車場のところからは小さく小さく見えていた燈台がかなり近くなってみますと、岬とは切り離された島の上に立っていることが分かりました。今は無人化されているそうですが、かつてはここにも灯台守が住まっていたのですかね。

 

ところで上の写真の標識にも書かれてありますし、あちこちの案内板でもたくさん見かけるのですが、佐多岬は「本土最南端」であると。個人的にはどうもこの「本土」というところに惑いが生じてしまい、タイトルでは「最果ての」などと表記してしまいましたですよ。

 

日本最南端は沖ノ鳥島ですし、九州あるいは鹿児島県としては奄美群島などを度外視することになってしまう。そこで「本土」という表記をしているのだと思うのですけれど、個人的にはこの言葉に戦争の名残のようなものを感じてしまい…。ここでは離島を含まない、北海道、本州、四国、九州を本土と言っているようですけれど、本土に離島を含まないとするのが自明であるかのように言うのに違和感があるわけで。

 

だいたい、沖縄が米国から返還される際、本土復帰という言葉を使っていて、そこでの本土は日本とイコールで離島を含まないといったことでは無かったですものね。そこからすると、沖縄も復帰して本土化しているわけですから本土=日本となって、やっぱり佐多岬の最南端さを形容するには違和感が…と。

 

とやかく言ってしまいましたですが、ここから先は海で陸路はありませんという突端に取り敢えずたどり着いたものですから、「最果て」という言葉の持つ(方位のいずれかに対して最も果てという本来の意味合いでなくして)さいはて感とでも申しますか、「はるばる来たぜ」感と申しますか、そんなつもりでこちらの言葉を使ってみたい次第なのでありました。いずこの岬にも共通する感覚でもありましょうかね。

 

 

ともあれ、薩摩半島よりはかなり南に着き出した大隅半島の突先で、岬の西側と東側でずいぶんと打ち寄せる波の具合が違うものだなあと思ったりした佐多岬なのでありました(ちなみに西側が荒々しく、東側が穏やかなのですよ)。