そそくさと鹿児島の話を続けて行こうという気分ではありますが、昨年10月以来続いて(しまって)いる瀬戸のお話がもう少しでおしまいとなる段階にありまして。こちらはこちらで収まりをつけてまいりたいと思っておりまして…。

 

 

 

さて、瀬戸蔵ミュージアムの展示で辿る瀬戸焼の歩み近代編となります。先にノベルティーを扱った企画展などで見たところと重なる部分もありますが、「従来の生産品に加え、海外向け製品や工業製品など、新分野への対応を迫られ」たという瀬戸のやきものを、展示解説の引用を中心に改めて概観するということに。

 

幕末以降、国内では陶磁器製品が日常の飲食器として次第に一般化するとともに、輸出品としてコーヒーカップなどの洋飲食器の生産が開始されたことにより、飲食器の生産が高まります。瀬戸でも明治前半からその製造個数は他を圧し、生産額でも大正初年以降突出したものとなります。また生産品は、輸出品を主体とするものに変化し、鋳込成形による砂糖入、ミルク入などの袋物の生産が得意分野となっていきました。

明治に入ると、万国博覧会など海外との接触を通じて、やきものには輸出品という役割が加わります。このなかで、家具・装飾・工芸品というジャンルが確立し、輸出品として瀬戸では花挿具を中心に、精妙な絵付を施した装飾的な製品や他地域の絵付専門工場へ出荷される半製品が多くつくられ、明治後半まで飲食器と同等の生産額を誇りました。なお、明治年間のこれらの体験を経て美術工芸としてのやきものが明確化していきます。

 

こういってはなんですが、大きなものほど「日本で有難がられることがあるのであるか?」と思われる品々は、もっぱら輸出向けなのでしょうなあ。ヨーロッパの宮殿のあちこちで東洋趣味に満ち溢れた空間に出くわすことがありますけれど、日本なのか中国なのかはともかくも、向こうの人には「おお、オリエンタル!」と思えるものが、送り出す元の側では「これが人気なのか…?」と思って作ってたりしませんでしたかねえ…(個人の感想です)。と、続いてはいささか時代が飛びまして。

日中戦争が始まると、国内の金属資源を軍需に集中させるため、家庭用品を中心に金属製の品物を陶磁器製に代えた代用品の生産が奨励されます。さらに戦争が長期化の様相を示すと、一般のやきものや代用品は厳しい生産統制が加えられ、太平洋戦争が始まる頃には、各生産者ごとに生産品に統制番号をつけることが義務付けられました。また企業整備令によるやきもの工場の整理縮小が行われ、戦争末期には生産は極端に衰退しました。

 

戦時下、金属の払底により各種金属製品がやきもので代用されたことは、先に多治見市美濃焼ミュージアムでも見たとおりですけれど、右手奥に見えるお供え餅のようなものは?…と思えば、まさしく陶製鏡餅なのであるとは!戦争中は金属払底ばかりか食料も底を付きかけていたわけで、「三分搗きの黒い米の時代に、ネズミにかじられない白い餅が飾れると好評」だったそうな。せめてものお正月気分は味わいたいということになりますか…。

 

 

ところでやきもので代用するとして、瀬戸、有田、京都で試作が進められたのが「陶貨」ですな。これには、第一次世界大戦下のドイツに先例があって、これに倣おうとしたということですが、日本の場合には「終戦により世に出回ることなく役目を終え」たのであると。ちなみに「瀬戸では約1,300万枚の一銭陶貨が製造され」るも粉砕処分になったとか。「まぼろしの陶貨」ですなあ。

 

やきものでできた人形や動物などの置物を瀬戸ではノベルティとよびます。ノベルティは明治中期の簡素な人形生産が始まりですが、転機は、第一次世界大戦です。この戦争で陶磁器製人形、玩具の主要輸出国であったドイツの生産が途絶えたことにより、瀬戸での輸出用のノベルティの生産が本格化し、品質も向上していきます。第二次世界大戦による中断がありましたが、戦後は、飲食器をもしのぐ瀬戸の一大生産品に成長します。

こうしてみますと、日本のやきものの輸出特需はどうも「漁夫の利」とでも言えるような…。伊万里がせっせと輸出されたのは中国の動乱によりますし、瀬戸ノベルティの方も第一次大戦でドイツが立ちいかなくなったからでしたか。

 

陶磁器は、明治以降の「近代化」のなかで絶縁性、耐酸性などの特性を活かし、工業、建築、化学など幅広い分野に進出していきます。なかでも碍子をはじめとする電気用品、タイルや衛生陶器(便器)といった建築用品は、電気の普及、建物の洋風化により需要が高まり、瀬戸でも早くから生産が開始されます。特に、電気用品は大正末年頃から飲食器に次ぐ生産額を誇るようになります。

そういえば…ですけれど、高級食器メーカーとして知られるノリタケ(瀬戸ではなくして名古屋の会社でしたな)も沿革を辿れば創業当初、碍子を作る所から始まっていたのであるようで。工業的な製品を追求していくところからは「ファインセラミックス」という呼び名も生まれてくる(名付け親は京セラの稲盛和夫とか)。「たかがやきもの」は、最先端技術に関わる「されどやきもの」になっていくのですなあ(話は瀬戸を離れていきますが…)。しみじみ…。