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瀬戸蔵ミュージアムにあって、もそっと「せともの」の本場らしい展示を…ということで、覗いてみたのがこちらになります。ちょうど「むかしの道具展」が開催されていた中央通りギャラリーの向かいにあって、妙に重厚な扉があたかも蔵を感じさせるところながら、どうやら企画展示室であるようです。「白雲陶器②—瀬戸ノベルティへの展開—」という企画展が行われておりましたよ(会期は2023年12月17日で終了)。

 

 

「白雲または白雲陶器と呼ばれる素材は、1933(昭和8)年に国の機関である陶磁器試験所で開発され」たということですけれど、その「白さ・軽さ・発色の良さ」を活かし「戦後に輸出ノベルティとして、その後国内のファンシーグッズとして華開いていった過程を紹介」するというのが、本展の内容であると。やきものが明治維新後の日本で大きな輸出品目とされたことに続く、やきものに頼る外貨稼ぎが戦後にも行われていたというになるのかもです。

 

展覧会タイトルとしては「白雲陶器②」とありまして、これの前に白雲陶器のそもそもから戦前の状況が紹介されたようですが、本展ではその振り返りから始まっておりましたですよ。

 

 

昭和初期、「当時の欧米で流行していた大衆向け石灰質陶器製品に匹敵する素地を開発し、日本産陶磁器の輸出拡大を目指したもの」として、ドロマイト(白雲石)を用いた素地作りに成功したのが1933年(昭和8年)で、上に見るような試作品が作られたようですが、至って和風というのか東洋風というのか…。

 

ともあれ、素地は見いだせたもののやがて太平戦争にも突入して、輸出計画は頓挫することに。しかし、戦後になりますと改めてこの白雲陶器が脚光を浴びるようになったようで。なんとなれば、「純白で軽量な素地にカラフルな色の再現が容易で、低火度焼成のためコストの低減にもつなが」るメリットが注目され、「置物として飾るノベルティにはうってつけ」だったということなのですね。

 

 

それにしても、製品デザインの様変わりはどうしたことでしょう。例えばマイセン磁器などのヨーロッパ製品を見て、「こういうのが受けるのだね」と思ったのでもありましょうか。東洋趣味は東洋趣味で欧米でもてはやされたこともあったわけですが、これも「戦後」のなせるわざであるか…とも。

 

しかし、一世を風靡した白雲陶器のノベルティ、低価格であることが魅力のひとつであったところが、為替の変動相場制への移行やプラザ合意のダメ押しで円高基調に輸出産業としては立ちいかなくなってしまった。そこで、大きな方向転換として目を向けたのが国内需要の拡大ということで。具体的にはファンシーグッズのマーケットを狙い撃ちしたようです。

 

 

 

今の感覚では「どれもこれも処分に困る…」ような品々でもあろうかと思ったりしてしまいますが、時あたかもバブルバブルの世相であって、「かわいい」ものを集める風潮というのも確かにあったのではありましょうね。「1991(平成3)年には、瀬戸ノベルティの国内販売額が輸出額を上回るまでになっていきました」と解説されてありますので、売れ行き好調だった時期もあるのでしょう。ですが、その後バブルははじけ長いトンネルのような不況の中へ…。

 

展示作品の数々はもっとも最近のもので1990年代までの作品で、今の時代、すっかり断捨離の波にさらわれて、これらのファンシーグッズを見かけるのはもはや中古品リユース販売の店先なのかも。いっときの輸出の華が夢の跡…てなことでもありましょうか…。