なんとはなしにじんわりと、ミステリーを読みたい雰囲気が湧きおこっていたところで、どうやら新着図書らしいと近所の図書館で借りて来た一冊。イーデン・フィルポッツの『孔雀屋敷』でありました。

 

 

個人的にイーデン・フィルポッツと聞けばすぐさま『赤毛のレドメイン家』を思い浮かべて、ミステリー作家と認識するものの、英国デヴォン州のダートムアあたりを舞台背景に日常を綴るような、いわゆる「田園小説」の作家と本国では受け止められておるようすとか。そんな作家が手掛けたミステリー作品は、すでに欧米では忘れられた存在になりつつあるとも。ともあれ、今回手にした短編集も、各編とりどりのミステリー風味は感じられるものの、いわゆる推理小説と言っていいのかな…と悩ましい限りでしたな。

 

ま、エドガー・アラン・ポーが推理小説の嚆矢とされる『モルグ街の殺人』を発表したのが1841年で、アーサー・コナン・ドイルが『緋色の研究』でシャーロック・ホームズを活躍させ始めるのが1887年ですけれど、ポーにしてもドイルにしても、いわゆる推理小説以外のさまざまな趣向の作品も書いているわけでして、その点では先に読んだ『モダニズム・ミステリの時代』で紹介されておりましたように、(日本の大正から昭和初期という時代ではあるものの)当時の新進作家たちが今ならミステリーとされるような、はたまたSF小説と目されるような作品も(多少雑多に?)手掛けていたことと同じなのかも。ミステリーやSFに、いわば専業作家的な書き手たちが登場する前夜で、英国ではフィルポッツが田園小説の傍ら、よりミステリー風味の農耕な作品を書いてもいた…てなことなのかもしれません。

 

てなことで、ミステリーを読みたいと思ったところをあいにくと『孔雀屋敷』で満たすには至らなかったもので、それならばとフィルポッツのミステリーとしては(今でも日本では)代表作とされている『赤毛のレドメイン家』の再読に及ぶことに。ちょうど近年に新訳が出たことでもあるようですのでね。

 

 

欧米ではすでに忘れられた存在になってもいるようで…と言いましたですが、日本においてはひとえに江戸川乱歩が激賞したからでもありましょう。新訳文庫の帯を見てもあきらかなように。ですから、どれどれと手に取る人が多かったのでもありましょう、結果的に古来の海外推理小説はこれを読むべしみたいな紹介の中に今でも出てくるような(日本独自の)存在となっているのでもあろうかと。

 

再読と言いながら、これ幸いなことには些かも内容を覚えていない点では新鮮に読み進めたわけですが、文庫版で結構な厚みのある一冊には確かに読みでがあったような。ただ、今となっては「古さ」を感じるのは否めないかと。ミステリーもどんどん進化系が出て行ったですものねえ。そうはいっても、その時代感が乱歩激賞の背景にあるとは言えるのではなかろうかと。感激した乱歩は『緑衣の鬼』という翻案作品まで作って、本作の魅力を日本に伝えようとしたということですけれど、そういう意識で読むからか、読んでいて「乱歩作品に近い雰囲気、あるなあ」と。ま、翻訳の加減なのかもですが。

 

「古い」とはいえ、逆に古いからこそ「こんなふうにしちゃうんだ」と思えることもあるわけで、ひとつの特徴は(と、この先、どうしてもネタバレの空気が漂うかもです)探偵役が前半と後半で代わることでしょうかね。当初はスコットランドヤードの敏腕刑事と目されていたブレンドンが捜査に当たりますが、後半になって登場にするアメリカの元刑事ギャンズに優しくさりげなくダメ出しされるのですな。「捜査が迷走したのはあんたのせいだかんね」ということをやんわりと。

 

何故にそんなことになってしまうのか?というあたりが、本作の読みどころでもありましょう。散りばめられたミス・リードの言葉たちに見事にひっかかるのがブレンドンでして、前半部分を読みながら読み手として「これ、ミスリードだろうなあ」と思えることをまともに受け取っているのがブレンドン。ギャンズが登場するに至って「あんたはミスリードされまくっていたのだよ」てなふうにブレンドンが諭されるに及び、読者の側は「そうだよねえ」と溜飲を下げる。さりんがら、事件の核心はその段階でもいっかな詳らかになっていない。人物関係をあれこれ想起しながら読むわけですが、どうしてもひとり足りないというか、ひとり余るというか…。

 

時代的にいささかゴシックホラーっぽい雰囲気もありつつ、それもまたこの時代ならでは個性・魅力と思えば、欧米で忘れられた存在にまでなってしまうのは、極端なような気もしないでもない。まあ、ゴシックホラー自体が顧みられなくなってもいましょうけれどね。

 

巻末の解説によりますとさる評者の曰く、いわゆる「名探偵小説」というのは数多あるものの、本作は「名犯人小説」とでも言えようかと。トリックやらなにやら細かな点で突っ込みどころ満載なのはともかくも、名探偵ならぬ名犯人とまで言われる犯人像を生み出したフィルポッツの『赤毛のレドメイン家』を、日本では新訳まで出て読み継がれているのは蓋し慧眼というべきなのかもしれません。余談ながら、デヴォン州にあって若き日のアガサ・クリスティーはご近所のフィルポッツに指南を受けた…てな話もあるわけで、アガサのミスリード手法(一度、「オリエント急行殺人事件」で振り返りましたなあ)はフィルポッツ仕込みだったりするかもですしね。

 


 

 

というところで、またまた父親の通院介助で両親のところへ出かけてきますので、明日(3/13)はお休みに。明後日(3/14)にお会いできますように。ではでは。