さてと、瀬戸染付工芸館の敷地内には3つの建物があると言いましたですが、本館、交流館と覗いた後はもうひとつの建物(といって実質は建屋ですが)、古窯館を見ておくことに。工芸館に到達直前、「ああ、ここの建物が工芸館であるか?」と気付かされることになったのが、そもこの建物でありましたよ。壁面の穴を見てなんとなぁく。

 

 

で、たどり着いてみればやはり工芸館の建物(のひとつ)であったわけですが、古窯館の「古窯」という言葉、これは「こよう」と読むのでなくして「こがま」と読むようでして。どうも「日本六古窯」の読み方に引きずられてしまっておりましたなあ。

 

 

単に古い窯を意味するものであれば「古窯(こよう)」とも言うのでしょうけれど、ここの「古窯(こがま)」には「本業窯(ほんぎょうがま)」(これは先に見てきました)、「丸窯(まるがま)」との棲み分けがされている呼び名であるような。瀬戸染付工芸館HPでは、こんな紹介がありました。

本業窯が陶器を焼成、丸窯が大型磁器を焼成したのに対し、古窯は陶器と磁器を併焼していました。
構造は他の登り窯に比べて、小型で急勾配となっています。当館の古窯は、主に小型の磁器製品を焼成していました。

小型の磁気製品の生産にあたっていた窯となれば、染付体験教室をやっている場に相応しいように思えるところでありますね。とはいえ、現在では体験教室用の器や研修生が使う器は交流館側にある窯(ガス窯が導入されておると)で焼成しているようすでしたなあ。

 

 

まさに「只今、窯の焼成中です」とあって、危険だから近づいてはいけんよと促しておりました。ともあれ実際の古窯のようすはこんな具合になっておりますよ。

 

 

 

先に見た「本業窯」に比べてかなり小ぶりと思えますけれど、現存しているのは三連房ながら移築前のそもそもは五連房であったそうな。まあ、本業窯の方が取り分け巨大であったのでありましょう。むしろこちらの「古窯」の方が経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されておるようです。

 

 

それにしても今さらながらに気付かされたのですけれど、経済産業省「近代化産業遺産」認定というのはかなり大括りになされるようですな。この「古窯」の認定も、「輸出製品開発や国内需要拡大による中部、近畿、山陰の窯業近代化の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一要素でして、瀬戸市では唯一であると。多治見土岐市などの東濃地区からは何も入っておらないようです。

 

とまあ、そんなこんなで瀬戸染付工芸館をじっくりと見て回った後は、また次のスポットへとてくてくと。道すがら、このような門構えのお宅を見かけるのも、瀬戸らしいところでありましょうか。

 

 

ほどなく到着した次のスポットは瀬戸市新世紀工芸館…なのですが、この見聞はまた次のお話といたしまして…。