愛知県瀬戸市のやきものの里を巡ってぶらり。伝統技法を伝える瀬戸染付工芸館にやってきたところでして、施設内に3つある建物のうち、本館に続いてはこちらの交流館という建物を覗いたのでありました。

 

 

交流館は、江戸時代から代々古陶園竹鳳を号した染付窯屋である伊藤伊平家の細工場を復元した建物です。瀬戸地方では細工場のことをモロと呼び、通常「三八(南北3間×東西8間)」の規模を持っています。厚い土壁、敲き固めた土間、数が少なく小さい窓は、やきものを作る際の環境の変化を少なくするために、長い年月をかけて考え出された知恵です。

 

元々が染付に携わっていた工房といえる場所だけに、「染付の技術保存・継承の為の人材育成を目的として研修生受け入れを行ってい」るという、その研修生(と思しき方々)が今もそのままに1階部分の作業場で染付製作に取り組んでおりましたなあ。「制作風景をご覧いただけます」という案内にのって入り込んでみましたが、やはりきょろきょろするのも憚られて…。そこそこに2階にある展示室の方へと向かった次第。内部はこんな感じになってます。

 

 

建物は古民家そのままですけれど、些かお金のかかっているであろうハイテク?展示もあったりしたのですなあ。

 

一般に「染付」と呼ばれるやきものは、磁器の素地に酸化コバルトを含む顔料で絵を描いたやきものです。素地の白さと顔料の藍色のコントラストが美しいこのやきものは、中国・元時代(14世紀)に生まれ、中国では「青花」と呼ばれました。やがて、この技術は日本にも伝えられ、江戸時代初期(17世紀初)に九州で開花します。

上の「染付紀行」なるハイテク展示では、中国発祥の「青花」(日本では「染付」)が世界に広がるようすが示されるのですな。モニター画像にはオランダ東インド会社による輸出の紹介が映し出されているところです。

 

ともあれこの技法は、陶器(本業)のみならず磁器(新製)も扱うようになった瀬戸にももたらされて、いわゆる「せともの」として大衆化する中、白地に染付の藍がのった日用雑器はやきものの代名詞にもなっていくようでありますね。

 

 

ところで、訪ねた当時は「瀬戸染付窓絵図奇譚」という企画展が開催されておりましたよ(2023年12月24日で会期は終了)。

 

 

ここに言う「窓絵」というのは、主題となる図柄を額縁で縁取るようにすることですな。が、その縁取りは「丸型、亀甲型、扇型、猪目型、絵巻型、ひし型などがあり実に様々で」あるとか。ちなみに「猪目型」というのは要するに「♡」のかたちのことなのでしたか。和物文化に詳しくない者としては「そうであったか」と(これまた)今さらながら。考えるまでもハート型という言葉が江戸時代にあるはずもなく…。

 

 

作品を示されてみれば、窓枠の形は細かいところで意匠性にこだわりを見せていることが窺えますなあ。そして、こういうさまざまな枠の形は磁器を見るときに必ずお目にかかるものでもあろうかと。ただ、(今この段階で言うことでは無いようにも思いますが…)磁器より陶器を好む向きとしては、技法としてすごいことは分かるのですけれど、染付の魅力に開眼したとまでは言えずに…(苦笑)。ま、やきものとしてかわいいものは、当然磁器にもあるわけですけれどね。