東京都心と千葉県成田を結ぶ鉄道路線はJRと京成とが付かず離れずの関係で並走していますけれど、佐倉市の中心部に近い方は京成佐倉駅の方ですな。途中の船橋で、あえてJRから京成に乗り換えて(この乗り継ぎが、京急とJRの川崎くらいに微妙)、初めて下車する京成佐倉駅に到着した次第でありますよ。

 

 

ここを起点にてくてくと歩き出し(バス便を探りましたが、タイミングよくはいかないようで…)、しばらく平坦でしたが最終的にはこのような坂を登り詰めたところに目的地はあるという。

 

 

たどり着いたのは国立歴史民俗博物館なのでありました。

 

 

この国立歴史民俗博物館には2017年の1月、東国三社を巡るドライブ便乗旅行の折、行きがけの駄賃的に立ち寄ったことがあるのですけれど、昼食休憩がてらにさくっと廻るくらいなものだったのですなあ。長い歴史を語る数多くの展示を見るにはとてもとても十分とはいえず、再訪の思いは常々あったわけです。で、このほどようやっと再訪に漕ぎつけたのは、どこで入手したフライヤーであったか、このような特集展示が開催中ということに食い付いたのでありますよ。

 

「北の大地が育んだ古代-オホーツク文化と擦文文化-」という特集展示。南北に長い日本列島ですので、文化伝播のルートはさまざまにあるところでして、北海道にはさらに北方を流入経路とする文化が息づいて、それがアイヌの人々に影響したり、謎のフゴッペ洞窟の線刻画として表されたりもしたのであろうと想像していたものですから、今回の背中を押すには十分であったのですなあ。

 

 

で、人類の誕生から始まる壮大な歴史展示の中をきょろきょろしながら、「特集展示の展示室はどこかいな?」と進んでいきますと、時代区分からいえば飛鳥時代あたりまで話が進んだあたりに至って、看板が出てまいりました。特集展示はこの奥よ!と。

 

 

ちなみに正面のスペースは九州の「神宿る島」沖ノ島を解説する展示室でして、朝鮮半島ルートの文化の関わりになりましょう。肝心の?北方文化の方は右手奥ということだったのですが、これが思いのほか(驚くほど)小さなスペースだったのですなあ(これだけ…?と心のつぶやきがあったのはわざわざ来たのだという意識があったからですなあ)。

 

 

展示室の一部を写したものと見えるかもですが、実質的に展示はこの壁一面(左側がこれ以上さほどに奥は無し…)であったとは。ですが、小さいだけにじっくり解説を読んで、なるほどなあと思ったりはしたものでありましたよ。

日本史で古代(飛鳥・奈良・平安時代)に区分される時代、北の大地、北海道ではオホーツク文化・擦文文化が展開していました。オホーツク文化は5世紀にサハリンから南下した外来文化で、海獣狩猟・動物祭祀に特徴があります。擦文文化は本州の影響を受けて7世紀後半に成立したもので、漁労・狩猟・採集を中心に補助的に雑穀を利用し、アイヌの文化の母体となりました。

 

…とまあ、このようなオホーツク文化・擦文文化ですけれど、その詳細につきましてはこの次の機会にということで、お楽しみに(?)。

 


 

てなふうに続きものばかりの最中に恐縮ですが、月例の父親通院介助で両親のところに行ってまいりますので、明日(12/20)はお休みということで。また、明後日(12/21)にお目にかかります。では。