いやはや、やおら寒くなって来ましたなあ。何をするにつけ、秋はいい季節で…と言われる「秋」がすっかり飛んでしまうのが近頃でもあるような。とまれ、日が傾いて(といっても、そもそもおひさまが出てなかったですが)夕刻に出かけるのは面倒になりそうな寒さを感じる頃合いながら、くにたち市民芸術小ホールに赴いて金管五重奏を聴いてきたのでありますよ。
先月には同じホールで「トロンボーン三重奏」というレアな編成の金管アンサンブルを聴きましたですが、それの続き企画のようなものですかね。まあ、金管五重奏とはブラス・アンサンブルではよくある編成ですけれど。
かつて吹奏楽をやっていたことがあるものですから、ひと頃までブラス・アンサンブルはわりと聴きに行っておりましたが、往々にしてオリジナル曲(だいたいは聴いたことのない曲なのですが)あり、クラシックやポピュラーの名曲アレンジあり、なんでもありのプログラムで、しかもだいたいは笑いを誘う演出が盛り込まれたりするのも、ブラス・アンサンブルのライブならではでしょうか。以前、『熊蜂の飛行』の演奏中に奏者のひとりがハエたたきを手にステージ上を右往左往するというようなものもあったり。PJBEの映像で見かけたのでしたか…。
今回はそこまでの演出はありませんでしたけれど、まじめな曲(?)に交じって二つばかり、「これは?!」というタイトルがプログラムに見受けられたのですな。曰く、『モーツァルトだよ人生は』、そして『津軽バッハ一人旅』というものでして。
このタイトルから曲の雰囲気を想像できる方はおそらく年配者といいましょうか、いわゆる演歌に些かなりとも馴染みがないと…と思うところかと。前者は即座に『浪花節だよ人生は』を想起しますし、後者はおそらく『津軽海峡冬景色』とか『みちのくひとり旅』とかに繋がりそうな。実際に演奏されてところを聴いてみれば、それぞれモーツァルトとバッハの有名な曲のフレーズと演歌のメロディーが混然一体化しておるではありませんか。取り分け、トロンボーンの下卑たグリッサンド(これこそトロンボーンらしい機能の発露なのですが)が聴こえてくるあたり、往年の『紅白歌合戦』のバックバンドのようであり(笑)。
ともあれ、こうした類の曲作りをする(しなければならない?)作曲家の方々(上の2曲は編曲ですけれど)は聴衆に楽しんでもらえる(楽しみ方にもいろいろあるわけですが)曲を書こうと思ったのか、そういう依頼があったのか…。作り手たるご本人もまた楽しみながら書いたのか、はたまた依頼に止む無く応えたのか…。そんな思い巡らしをしたときに思い出したのが、先日(11/5)にEテレ『クラシック音楽館』で特集されていた作曲家・池辺晋一郎なのでありましたよ。
生誕80年(もちろん矍鑠としてご存命)の記念コンサートの模様と、深い深いつながりのあるNHKとの仕事によって生み出された曲などを紹介しておりましたな。池辺晋一郎の曲として思い浮かぶのは大河ドラマ『独眼竜政宗』の主題曲で、オンド・マルトノを使って独特の雰囲気を醸し出していたのが実に印象的。それはそれとして、本領はクラシックにあって「20世紀音楽」と言われる、少々聴き手を置いてけぼりにしてしまうところのある楽曲だったりも。先の放送の中でも取り上げられた、半世紀以上前に書かれたピアノ協奏曲第1番はいかにもでしたし、また今年の最新作であるという交響曲第11番もまた少々気負いは減ったかもながらそれでも…という曲でしたしね。
さりながら、長いNHKとの仕事の中ではかなり無茶振りとも思える依頼に対して、真摯に(というより面白がって?)応えてきた作曲家にはこんな曲もあったのであるかというものも。例えば、組曲『動物の謝肉祭』にサン=サーンスが取り上げなかった動物を付け加えるとしたら何を?という要請には、「オランウータン」なる一曲を提供したのであると。曲の中、ここぞという場面で指揮者がティンパニの一撃を求めているのですが、ティンパニ奏者は「おらあ、うたん」と。はたまた大相撲のその日の一番で「これ!」という取り組みに対して、取り組み時間分の音楽を付けるというものがあったり。余談ながら、選ばれたのが麒麟児と栃赤城の一線であったとは、それだけで懐かしさが募るところですが(笑)。
ともあれ、そんな冗談音楽と思しき(こういっては何ですが使い捨て的な部分もありましょう)曲の依頼にもたくさん応えて来たという姿があったのですなあ。いかにもな現代音楽を作り出す一方で。
誠にもって下世話な話ですが、高尚な?音楽を生み出す作曲家がこうした音楽をも手掛けるというのは、どんな心中だったりするのであろうかな…と思ったりしたのですな。ただ、これは「ベートーヴェンなら眉間に皺を寄せてひたすらに主題労作に勤しんでいるはず」といった思い込みの故かもしれませんですね。
例えが適切かどうかは分かりませんけれど、芥川賞作家・遠藤周作がいわゆる純文学を生み出す一方で狐狸庵先生を名乗り、飄々としたエッセイを書いたりもする。どちらも間違いなく遠藤周作なのですよねえ。受け手の側が勝手な思い込みで、偉い作曲家、偉い作家はこんな人(でなくては)的に考えてしまうとしたら、それはそれでご本人にとっては窮屈で、また迷惑でもある話なのかもしれんなあと思ったりしたものなのでありますよ…と、すっかり話はブラス・アンサンブルのお話ではなくなってしまいました…。