「長崎外海紀行」と言いつつ、これまでのところは長崎市の市街地ばかりをうろうろしておりましたが、いよいよ路線バスの長旅で外海(そとめ)を目指すことに。ホテルからほど近い新地中華街のバスターミナルから出発するバスの本数がとても少ない(途中乗換すればもそっと多い)のが難点でしたけれど、まあ、外海の方へ向かう方々はおそらく車で移動するのでしょうなあ…。

 

 

ともあれ、板の浦行きのバスに揺られること1時間余り。バス会社の時刻表によれば、目指す「道の駅(文学館入口)」のバス停までは1時間7分ながら、市街地の道路事情でもって1時間15分くらいかかったでしょうかね。その間、海を見下ろす断崖に沿って道ががうねっておりますので(頭の中には自然と『岬めぐり』の歌が流れだす…)、「バスに揺られること」という表現は文字通りでありますよ。見下ろす海は、陸地に深く入り込んだ長崎湾の穏やかさとは一変した外洋ですしね。

 

 

で、岬に立つ「道の駅夕陽が丘そとめ」の先、もはや突先部分に目的地とした「長崎市遠藤周作文学館」は立っておりましたですよ。見たところ、駐車場にある車の数からそこそこの入りか?とも思いましたが、館内は静けさに包まれておりました(ということは、来場者がほとんどいない。車は「道の駅」の従業員の方のかも…)。やっぱり不便だからですかねえ。

 

 

遠藤周作(の作品)が長崎にゆかりあることは、先にも触れた『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』なる一冊があることでも分かりますけれど、こんな(とは失礼ですな。風光明媚な)ところになんだって文学館が?ですけれど、同館HPにはその所縁がこんなふうに紹介されておりますよ。

遠藤周作文学館が立地する長崎市外海地区は、キリシタンの里としても知られており、遠藤文学の原点と目される小説『沈黙』の舞台となった場所でもあります。
この縁により、遠藤周作の没後、手元に残された約3万点にも及ぶ遺品・生原稿・蔵書等をご遺族から寄贈・寄託いただき、平成12年5月に「外海町立遠藤周作文学館」として開館しました。その後、平成17年1月の市町合併により「長崎市遠藤周作文学館」と名称を変更しています。

小説『沈黙』のイメージを思えば、風光明媚などと言っておれずに、潜伏キリシタン救済のために命を賭して宣教師たちが渡ってきた海が目の前に広がっているというふうに見えてもきましょうかね。ということで、館内へと足を進めてみるといたしましょう。

 

 

といっても展示室内は写真撮影不可でしたので、取り敢えずステンドグラスの光が降り注ぐエントランスホールでもって館内の雰囲気を。展示室の方では生誕100年特別企画展「100歳の遠藤周作に出会う」が開催中でありましたよ。

 

 

作家の生涯をたどる…というのはひとりの作家に焦点を当てた文学館なれば当然あるところではありますけれど、作品などからのたくさんの引用を配して再構成した展示なのでしょうなあ、きっと。

 

ともあれ、遠藤周作といえばキリスト教ということになりましょうけれど、自ら身の丈に合わないお仕着せの衣服を身にまとわされているような心地の悪さを感じていたキリスト教との葛藤あればこその世界であったのでありましょう。そこで、「主観的人間論」という一文からこんな引用を。

エリック・フロムは宗教を父の宗教と母の宗教にわけた。前者は人間の弱さに怒り、裁き、罰する神をもった宗教である。後者は人間の弱さの悲しさを知ってくれ、それを許し共に苦しんでくれる宗教である。この大きな区別を妥当とするならば、かくれ切支丹の基督教はマリア信仰を通じて母の宗教に変ったということになる。父なる神の代わりに母なるものを求める宗教になったということになる。

潜伏キリシタンを一様に弱者の側として見るのは適当ではないのでしょうけれど、ひとつの極端な形として『沈黙』に出てくるキチジロー(遠藤自身をもモデルとしているようですが)のような弱者に注ぐ目は、このあたりにも関係しておりましょうね。信仰を守り通すには強くあらねばならないものの、それが厳格に求められれば求められるほど脱落する者が出てくる。それを叱咤激励することも必要なのでしょうけれど、求めらえる厳格さに対応しかねるにしても心のうちには信仰の熾火が残っているとして、それではいけん!と言い切ってしまうことができるものであるかどうか…。

 

マリア信仰はキリスト教の本来ではないものと思いますが、中東からローマ経由でヨーロッパにキリスト教が浸透していく過程では、土俗の宗教との混淆といったものもあり、またマリア信仰も生まれていったわけですから、日本でそれが起こっても不思議ではないような。信仰が深く根付くには土地土地の習俗との折り合いはどうしても生じるものでしょうからね。考えてみれば、仏教においてさえ観音さまに対して(必ずしも明確ではないにせよ)慈母のような女性のイメージを持ってきていた日本の人々にあっては、マリア信仰に救いを求めるのは至って自然なことでもあったと言えましょうか。

 

そも個人的に遠藤周作作品に触れたのは『ぐうたら好奇学』(これの装丁が和田誠ですなあ)が最初ではなかったかと。いわゆる狐狸庵先生の「ぐうたらシリーズ」を読むことは中学の頃、友人を巻き込んで大いに盛り上がったものでした。が、著作を読み進むにつれ、行き当たるのは真面目な?文学であって、そこにはキリスト教が通底している。当時はキリスト教、取り分けイエスが為したとされる奇跡などが「どうして信じられるのであるか???」と思っていた口ですので、そちら方面の作品を実際に手にとるまでには時間がかかったように思います。

 

ですがいくつか読み進める中で「そうであるか、そういうことなれば理解できなくもない」と思い至ったのが、『イエスの生涯』、『キリストの誕生』、そして『死海のほとり』でありました。『おバカさん』のようなユーモア小説と目されるものも、こうした開眼(とは大げさですが)の後に読んだことで反って通底するものが理解しやすかったが気がしておりますよ。

 

と、すっかり話は個人の思い出になってきておりますけれど、こうした思い巡らしがあったのもこの場所を訪ねたからこそであるわけで、展示に見入るばかりでないところにも「来た甲斐」はあるというもので。とはいえ、遠藤周作の文章から引用をもうひとつ。

《デ・プロフンディス》のもつ静かさのなかに、これら三人の親子を室内のどこかでやさしく泪ぐみつつ見守っているイエスの眼差しを感じるのは私一人であろうか。行きを引きとった父親の寝台の上に十字架があるが、その十字架はこの絵ではほとんど意味をなさない。
十字架よりも、この絵のこちら側にもう一人の人――同伴者イエス――が、じっと立っているのを感じるのは私一人であろうか。

《デ・プロフンディス》というのはパリのポンピドゥーセンターにあるジョルジュ・ルオーの絵画で、訳語としては『死の淵より』と言われたりする作品のようですが、ここで言う同伴者イエスというのが肝心なところでありましょうか。

 

今も昔も、かもしれませんが、神仏への祈りの動機?としてご利益を求めることがありますですね。キリスト教でも、例えばサマセット・モームの『人間の絆』の主人公を思い出して「なぜ神様は叶えてくれないのだ」といった思いを持ちがちなのはいずこも変わらずかと想像するところですけれど、上の引用に出てくる同伴者イエスはいわゆるご利益宗教とは無縁も無縁、ただただひたすらに寄り添うのみというわけで。

 

ですが、何をしてくれるわけでもなく、ひたすらに寄り添っている、見守っていてくれるということに救いを見出す場合もあることを、遠藤は語るのですね。例えば小説『侍』の中で。

常長はこの晩年、本当の意味で基督教徒になったのであろう。彼がスぺインのマドリッドで洗礼を受けた時、それは外交的なものであり便宜的なものにすぎなかった。彼はイエスを利用したのである。だがイエスは彼を離さなかった。…主君に裏切られ、日本に裏切られた晩年の常長ははじめて自分を裏切らぬ者、自分の悲しみをわかちあってくれる存在をそこに見出したのである。

とまあ、この程度のもの思いが想定されているわけでもないでしょうけれど、文学館には思索空間という場所が併設されておるのですなあ。「人生とは何か」と考えてみては…ということのようです。静寂の空間のようで立ち入りはしませんでしたが、海側に開けた大きな窓を持って施設から見える眺めは外のテラスでも同様。こちらの方からひろびろとした展望を得て心穏やかにしたものでありましたよ。