これまたちとユニークな編成で行われた室内楽の演奏会を聴いてきたのでありますよ。くにたち市民芸術小ホールのイベントはなかなかに個性的であったりしますですね。このほどは「中秋に贈るトロンボーン三重奏の響き」とは。金管楽器によるアンサンブルはままあるとしても、トロンボーン3本だけというのは珍しいわけで。

 

 

ただ、バストロ奏者の方がプログラムに寄せたメッセージを見れば、それはそれでなるほどなと思うところです。こんな紹介なのでありました。

トロンボーントリオという極めて稀な室内楽かと思いますが、普段我々が演奏するオーケストラでは基本トロンボーン3本で楽曲の和声・リズム・メロディを担い演奏しています。その為珍しいトロンボーントリオという室内楽とは言え、もしかしたらどこかオーケストラのサウンドをお楽しみ頂ける瞬間もあるのではないかと思います。

確かにオーケストラの中では基本的に、トロンボーン3本並んで使われておりますな。そこでつらつら思うのは「3」という数字の座りの良さでしょうか。音楽で基本的な和音は三音で作られて、心地よい響きを醸しているわけですしね。もっとも、オケの中でも木管楽器は二本、ホルンは四本といったことがありますけれど、これはまた役割や効果の違いなのでしょう。

 

「3」という数字の座りの良さに関しては、おとぎ話の中で同種のエピソードが三回繰り返されること(「三匹の子豚」などが分かりやすい例ですな)に触れたことがありますですが、視覚的にも三角形は文字通りに座りの良さを窺わせますし、その三角形に関わる「三平方の定理」で有名なピタゴラスは、一辺の長さ(例えばハープなどの弦の長さ)を短くすれば弾いたときの音が高くなると気付いた…なんつうことがディズニー・アニメ『ドナルドのさんすうマジック』に出てきていたような。つまりは、音にも、音の安定感にも興味のあったピタゴラスの数学は音楽と深くつながっているのですなあ。

 

弦の長さで音の高低を変えるという、いわば原初的な音階表現の方法が正しく活かされているのがトロンボーンという楽器であると考えると、そもそもがハーモニーの楽器として認識され、使用されたのが宜なるかなとも思うところですし、ハーモニーこそがトロンボーンの神髄を発揮する瞬間なのでもあろうかと。こういってはなんですが、地味に縁の下の力持ち的な役割が多く振られるトロンボーンながら、その特性を作曲家の側も意識して、「ここぞ!」という場面に浸かったりする。例えばブラームスの交響曲第1番の終楽章に、短いながらも突如現れるトロンボーンのコラールは、瞬時にして辺りの空気を荘厳、荘重なものにしてしまう効果がありますものね。

 

ただ、そんなふうに言ってしまいますとかなり用途が限定的にもなりそうですが、そこはそれ、トロンボーン奏者たちは自ら手掛ける楽器の可能性を広げることに余念がないのでして、今回の演奏会で取り上げられた楽曲、さらには演奏そのものもトロンボーン挑戦の歴史!みたいなところがあるようで、それぞれにトロンボーンのできることをあれこれ駆使していたような気がしたものです。

 

さりながら惜しむらくは、プログラムに載った曲のうち1曲を除いて、数々のトロンボーン奏者が作曲あるいは編曲した作品であることでしょうか。また覗いた1曲もたまたまトロンボーン奏者の友人3人が戯れに演奏しているのを耳にして触発されたという背景らしく、こうした経験が無ければこの作曲家もトロンボーン用のオリジナル曲を書いていたかどうか。このあたりを翻って考えれば、一般に作曲家がこの楽器をフィーチャーした曲作りに決して積極的ではない…てなふうにも想像するところでありますよ。

 

それでも自ら奏者である作曲家たちが、それこそ楽器を知り尽くした上で作った曲は聴きどころがてんこ盛りのような状態でして、取り分け(全く期待していなかった)『日本の秋の童謡メドレー』なる一曲は、思いがけずも吹奏楽っぽいノージャンルの楽しさに満ちておりましたなあ。

 

てなことで、帰宅後にはしばらく寝かし切りになっていたスローカー トロンボーン四重奏団(あいにくトリオではありませんが)のCDをとっかえひっかえ聴いてみたり。何十年か前にはトロンボーンを抱えて部活に通う日々があった者としましては、いろいろなLP、CDが眠っているものですから(笑)。