大浦天主堂に至る坂道からも見下ろせる長崎港のようすは、作家・遠藤周作が祈念坂から望んでいた風景とはどんどん変わっているのでもありましょうか。水際に大きく張り出した感じの「水辺の森公園」なども比較的新しく作られた部分かと。でもって、その公園に隣接する長崎県美術館へと(三度目の長崎にして初めて)立ち寄ったのでありますよ。

 

 

隈研吾が設計に携わったと聞けば「なるほど」と思える外観の建物に入ってみれば、実に光に溢れた空間になっておりました。コンセプトは「呼吸する美術館」なのだそうで。差し当たり企画展は展示替え期間でしたので、常設のコレクション展を見て周ることにいたしました。コレクションの方向性としては「長崎ゆかりの美術や須磨コレクションを基礎としたスペイン美術を収蔵」(同館HP)することにあるようですが、やはりオランダ絵画も欲しかった…とは無いものねだりが過ぎましょうなあ。

 

展示室に入る前にはそんなふうにも思っていたですが、ここのスペイン・コレクションはなかなかに見応えがありますですね。基礎となったのは「須磨コレクション」ということながら、「はて、須磨さんとは?」と。同館の案内リーフレットでは「須磨コレクション」をこんなふうに紹介しておりました。

第二次大戦中、1941年から46年にかけ、特命全権公使としてスペインに赴任していた故・須磨彌吉郎(1892~1970,秋田県生まれ)が、在任中にスペインなどで蒐集した美術コレクション。総数1,760点に及ぶ作品のうち、長崎県美術館は約500点を収蔵しています。

表向きは外交官ながら諜報活動にも関わっていた人物とあってか、戦後に接収された作品が手元に返還してもらえないてなことも多々あったようですけれど、それでも(「コレクション展」ながら)まとまった数のスペイン絵画が見られるのは何かしらの企画展と言ってもよかろうかと。観覧者が少なくて、なんともゆったり見ていられることを思えば、企画展というよりも欧州の地方都市で立ち寄った美術館を思い出さずにおれないといったところかも。一方で、別の展示室から少々がやがやした声が聞こえてきましたですが、地元の小学生の見学であったようですな。これも空いていればこそ、おおらかに見ていられることになりましょうか。

 

ともあれ、15世紀中頃に描かれてカスティーリャ地方の聖堂に飾られていたというテンペラ画の「聖ユダ」(作者不詳)は「スペイン・ゴシック美術の典型的作例」であるのをはじめとして、展示される宗教画や人物画の数々には束の間、海外にいる気分にもなってこうかと。一方で、須磨コレクションをベースにコレクションを広げた「スペイン近現代美術」の展示室には、ピカソあり、ミロあり、ダリありと有名どころもありますけれど、失礼ながら名前の知らない作家たちによってもスペイン美術の豊穣は窺い知ることができるような。

 

バルセロナのラ・リョッジャ美術学校で若き日のピカソやミロを教えたというモデスト・ウルジェイという画家は「カタルーニャのひと気のない海辺や墓地、廃墟などを主題に、フリードリヒベックリンなどドイツ・ロマン派を想起させる孤独感と象徴性に満ちた風景画を、飽くことなく描き続けた」と紹介(同館HP)に紹介されていて、「共同墓地のある風景」という作品は「まさに!」。ちとスペインっぽくないとも言えましょうけれど、惹かれますですよ。

 

また、アンフォルメルの画家アントニ・タピエスの「茶の上の黄土」、そして「身体のコンポジション」というミクストメディア作品は「アート」の持つ力を再認識させてもくれるような。そうした流れの前にミロが位置づけられそうだなという思い巡らしもまた起こってくるのは、「絵画」というタイトルながらいわゆる描くことをもっぱらとする絵画作品と異なってミクストメディア的である作品が展示されていたりもするからなのですな。

 

さらにスペイン美術では、マヌエル・フランケロといった存命で制作が進行形である作家にも及んでいるわけで、大したまとまりあるコレクションであるなとつくづく。コレクション展では、これとは別に長崎ゆかりの画家を取り上げた「2022年度新収蔵作品」の展示室もありまして、そちらのことに触れておりませんでしたけれど、こちらはこちらでやはり知らない作家ばかりではあるものの、なかなかに興味深い。なんだか近頃は余り美術館に足を運ばなくなってしまっていました(都心の美術館の混雑にはうんざりしており…)が、大層な宣伝で集客大の企画展を覗くばかりが美術館ではないなあと思い返しておりますよ。

 

ここまで作品の画像無しできましたが、上で触れた作品はおよそ同館の所蔵品検索で見ることができますですよ。ま、おまけとしては美術館の渡り廊下から望んだ長崎港の写真くらいはあげておきましょうかね。