ライプツィヒ造形美術館でマックス・クリンガーにあてがわれた大きな展示室をあとには、
クリンガーと同時代、つまりは世紀末を彩った絵画を見て回ったのでありますよ。
ちなみに「世紀末」と言ってこれが「19世紀末から20世紀初頭にかけて」の意であると、
認識されるのはいつまでも続くことでありましょうかね…。
ともあれ、また新しい展示室に入っていきます。
入り口の正面に掛かっているのがアイキャッチの一枚ですな。これでこの展示室にも入ってもらおうと。
いかにも「世紀末な」その作品はこちらでありますよ。
アルノルト・ベックリン作「死の島」、確実に「雰囲気」がありますですよね。
ベックリンは生涯に5枚の「死の島」を残したそうですけれど、これはその最後の5枚目に当たります。
島の入り口の門の位置とか、近づく小舟の位置とかあれこれ(間違い探しのように?)違いがありますので、
見比べるのも一興ながら、他の作品はバーゼル、ニューヨーク、ベルリン(と、あと1枚は焼失したと)にあるとなれば
首を左右にして見るわけにもいきませんが(ただ、エルミタージュでも見かけたのですが、あれは…)。
ベックリンの「死の島」が1886年作でしたのでその後の年代を追って他の作品も見ていきますが、
まずは印象はずいぶんと異なりますが、やはり幻想性のある作家の一枚を。
ジョヴァンニ・セガンティーニ作「Frucht der Liebe」(1889年)、「愛の果実」とでも訳しましょうか。
上野の西洋美術館では常設展で見られるセガンティーニの「羊の剪毛」はお気に入りの一枚ですけれど、
そこに見られるアルプスの牧歌性といったものはセガンティーニの特徴のひとつであるとして、
その一方で自然の背景はアルプスにしても、とても象徴的な、また幻想的な画面が現れることもまた
セガンティーニにはありますなあ。ウィーンのベルヴェデーレなどでたっぷり見られたような。
ここでの一枚は、見た目としてはなんとなく中間的なところでしょうかね。
と、こちらは同じ1889年の作品ということで隣の展示室(壁面の色が違いましょう)から出張ってもらいましたが、
エドゥヴァルト・ムンクの男性像です。ムンクにしては素直な?肖像画ですけれど、
それでもムンクらしさは感じられるわけで。
このあたりが19世紀、特に半ば以降の絵画作品はよりどりみどりの見る楽しみという気がしておりますよ。
それ以前の作品は(もちろんそれはそれで見る楽しみはありますけれど)、
美術館の展示室をさらっと見てしまうと「はて、どれが誰の作品であったか…?」てなことにもなるところながら、
印象派あたりから後の作家たちはみなそれぞれに個性的。
菓子箱を開けて同じ種類がたくさん詰まっているより、バラエティーに富んだ内容の方がうれしいのと、
感覚的に近いものがありましょうかね(と、いったいどんな例えかと自分て突っ込んでしまいますが)。
そういえば、しばらく前のMX-TV「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」で取り上げていた「ラ・グルヌイエール」、
モネとルノワールがキャンバスを並べて描いた2枚を見比べて、二人の個性がそれぞれに面白かったですなあ。
「印象・日の出」(1872年)が描かれる前ではありますが、モネはすでにして水面の光の反射が実に見事ですね。
筆触分割によって原色が並べられている…はずなのに、「ああ、水面ってこんなだよなあ」と実物を目の当たりにするような。
一方でルノワールも水面には気を使っているわけですが、水辺に集う人物たちの姿を多く描き込んでいて、
興味の対象も一様ではないと思うところです。
とまあ、一般に「印象派」とくくられる場合であったも見分けやすい個性があったりするのですから、
その後にさまざまな画風が現れて百花繚乱となる世紀末ともなりますと、
お菓子の盛り合わせと思ったりするわけで…と、話がライプツィヒ造形美術館に戻ってきました。
最後は、そこはかとなく「おお、世紀末!」てなふうに感じる2枚を見ることにいたします。
左側はフランツ・フォン・シュトゥックのキリスト磔刑図、右側はフランツ・フォン・レンバッハの半裸の女性像、
ふたりのフランツはミュンヘンゆかりの画家たでありますね。
ミュンヘンのレンバッハハウス美術館にはシュトゥックの代表作のひとつ「サロメ」が所蔵されておりますが、
絵柄に見る妖艶さからみると、右側の方がシュトゥックかとも思ってしまうところながら、
全体的な淡さの中に青の色調がいくつもあってというあたりはやはりシュトゥックであるかと。
レンバッハの女性像には、神話起源のような特段の固有名詞が与えられておりませんけれど、
いかにもなばかりのファム・ファタル像とも思え、世紀末はファム・ファタルの時代(?)とも
改めて思い至るのでありましたよ。