このところ何かと話の中にロンドンが出てきたことでもあり、
それで思い出した展覧会に足を運んでみたのですね。
藝大美術館で開催中の「夏目漱石の美術世界」展であります。
夏目漱石を次々に読んだのは中学から高校の時分でありましょうか。
「坊っちゃん」あたりはかなり早い時期に読んだような気がしますけれど、
確か国語の教科書に「こころ」の一部が取り上げられていた折りに
「こいつは全部読まねば」と思った後はもう次から次へと漱石、漱石という一時期を
過ごしていたような。
もっともその当時には漱石の小説には美術品が多々書き込まれているばかりか、
表現までもが絵画的なところもある…てなことにはちいとも気が回ってませんでした。
近年になって改めて読んだ「倫敦塔」では、幽閉された二人の幼い王子、
これはシェイクスピアの「リチャード三世」に登場する一場面ということになりますが、
その王子らの様子は一枚の絵からインスパイアされたものと知りましたし、
「草枕」ではそもそも主人公は画工(「えかき」と読ませる)であったことも
すっかり忘れておりました。
漱石はロンドンに留学して英文学を研究しましたけど、
その当時、19世紀初頭のロンドンは前世紀末から引き続きラファエル前派や
アーツ&クラフツ運動といった独自の芸術ムーブメントが活発であったでしょうし、
またそうした運動の担い手たちは例えばアーサー王物語とかシェイクスピアといった
古典文学からの影響を受けていたとあっては、漱石も英国での文学と美術の緊密な関係を
無視しえないところではなかったか。
とまあ、今ではそんなふうに考えてみることもできるようになって来ているだけに、
いざ「漱石の美術世界」となると、どんな展覧会になっておるのかと
興味津々にもなるわけでありますよ。
で、概観するとですね、
漱石が文学も美術も含めて多くの影響を受けたものと思うわけですが、
ひとつ印象的に受け止められるのが「ファム・ファタル」をかなり意識することになったのではないかと。
「ファム・ファタル」と言うにはちと小ぢんまりした印象かもですが、比較的初期作である
「虞美人草」の藤尾や「三四郎」の美禰子あたりは、そういって差し支えないのかも。
こうした人物造形はロンドンでの鑑賞体験に根差すものということなのかもしれません。
実際に漱石の蔵書の中に含まれていたロンドンのナショナル・ギャラリーや
テイト・ギャラリー(現在のテイト・ブリテンでしょう)の所蔵作品目録、
ロイヤル・アカデミーでの展覧会目録などが展示されておりまして、
積極的に美術に接した様子が偲ばれます。
そこでちょっと面白いなと思いましたのは、
ロイヤル・アカデミーで開催された「昔日の巨匠」展という展覧会の目録ですが、
そこに鉛筆書きで「○」や「×」の付けられた箇所があったのですね。
で、「×」が付いているのは何と!レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」。
謎の頬笑みをたたえる女性として、それだけでも「ファム・ファタル」合格!といったふうに
思わなくもないながら、漱石のお眼鏡には適わなかったようですね。
一方で、意外なところに漱石は「官能」を見出すのでして、
そうした要素は自ずと「ファム・ファタル」的なものの探究にもつながっていようかと。
このジャン=バティスト・グルーズ作「少女の頭部像」に見られる憂いを含んだ眼差しに、
漱石は深遠なるものを感じ取ったようでありますよ。
とまあ、独自の鑑賞眼でもってさまざまな美術作品に相対した漱石であったわけですけれど、
実際に見たであろう作品を作中の効果として取り込んでいる例もあるそうで。
例えば先程も触れた「三四郎」の中で、
主人公(三四郎ですな)と美禰子が画集の絵を見ながら呟きかわす場面。
片方が「人魚」と言えば、もう片方が「人魚」と答える。
こうした何でもないようなことが二人きりで、
しかも額をつきあわさんばかりに寄り添ってとなると、
男というものは実に無邪気に勘違いをするものでありますよ。三四郎もまたしかり。
こうした展開の最中に置かれた「人魚」の絵というのが、
J.W.ウォーターハウスの作品だと言います(上のフライヤーにも画像がありますね)。
個人的には先年ロンドンのロイヤル・アカデミーを訪れたときに見て以来の再会でしたけれど、
異形のインパクトは妖しさの具象として、やはりここにも「ファム・ファタル」かと思うわけです。
と、ここではほんの一端に触れただけで、最後のコーナーでは
思わず微笑まずにはおれない漱石自作の絵画作品なども見られるこの展覧会。
なかなかに興味深いですが、フライヤーに記された「みてからよむか」に対しては、
「見てから読んで、また見る」というのがいいのかもしれませんですよ。