没後50年に当たるという画家のジャン・フォートリエ(1898~1964)。
日本では初めての大回顧展とも言われる展覧会を覗こうと
東京ステーションギャラリー に立ち寄ってみたのですね。


ジャン・フォートリエ展@東京ステーションギャラリー


フォートリエの作品を意識したのは、ブリヂストン美術館 でしたですね。
アンフォルメルの先駆者とも言われるフォートリエですから、
2011年に同館で開催された「アンフォルメルとは何か?」という企画展でも
当然にフォートリエ作品を目にしたのでありました。


ジャン・フォートリエ「旋回する線」(ブリヂストン美術館ポストカード)


されど、そもそも同館所蔵コレクションであるこの「旋回する線」には
何度もお目にかかっているわけでして、それこそ「アンフォルメルとは何か」という
ややこしい(?)話は抜きにしても、「眠れる美」ではありませんが、
独自の美しさが宿っているものと思っていたのですよ。


厚塗りで建物の壁のようにも見える下地に、それこそ鏝でなすり付けたような藍。
そして塗った部分を引っ掻いて削り取るように旋回する線が不規則に並んでいる…。


どうしたって最初は「こりゃあ、何だ?」と思い、
何を表現しようとしているかを考えてしまうところですけれど、
その実、タイトルからして「旋回する線」で見た目のまんまだと、ふと気付く。


そうなると、ありのままをありのままとして見れば、
(何を表現しようとしたのか、作者に意図があったかとかはもはや措いといて)
「何気にきれいじゃね?」と思い至るわけでありますよ。


ですから、今回の回顧展では(展示数は必ずしも多くはないものの)
フォートリエの作品を年代別に追いかけておくこともポイントとなると、
どうしてもその名が一躍知らしめることになった連作「人質」に
ことさら焦点が当たるのは当然と思わなくはない。


上のフライヤーでも取り上げられているように、
第二次大戦下のレジスタンス活動でナチスドイツに捕えられ、
拷問を受け、処刑をされた人たちを、時には顔かたちという姿が失われ、
人間性やそれぞれの個性も消し去られた「形」で描き出すのは
メッセージ性も強く、大きな話題となる部分でありましょうから。


ではありますが、その一面、その部分だけがフォートリエでは無かったことは
展示を通して見ていけば明らかでありますから、ちと宣伝材料とはいえ
連作「人質」を使い過ぎ(頼り過ぎ)な気がしてしまいますですね。


まあ、こんなふうに考えるも、
フォートリエ受容が先の「旋回する線」のような作品からであったという
個人的事情によるところではありましょうけれど。


とまれ、展示の後の方には1963年作の「旋回する線」に近い時代のものが何点かあり、
例えば「黒の青」(1959年)、「無題(四辺画)」(1958年)といった類似の作品群に
出会うことができました。


ジャン・フォートリエ「黒の青」(本展ポストカード)


ジャン・フォートリエ「無題(四辺画)」(本展ポストカード)


この晩年のコーナーの前のところで上映されていた映像の中で、
フォートリエは自身の制作に関して何やら難しいことを言っておりましたですが、
こうした晩年の作品を見るにつけ、「複雑に見えて、実は単純なのではないか」、
「要するに『きれい』が好きなのではないか」と思えてくるのでありますよ。


「アンフォルメル」というもっともらしい(?)呼ばれようは
批評家のミシェル・タピエによるもので、フォートリエの日本への紹介も
タピエ所蔵品を多く展示した1956年、東京での展覧会が最初ということで、
最初からフォートリエとアンフォルメルは結びつけられて語られたところがあるようです。


ですが、こと晩年(1956年の東京展よりも後)の作品の、
実に実にシンプルな「きれいさ」「美しさ」に目をとめれば、
ここで何を言わんとしているかは分かっていただけそうな気がしますですよ。


ミュージアムショップにポストカードが無かったのでここではご覧いただけませんが、
「雨」(1959年)あたりも、本当はご覧いただければ、
シンプルな「きれいさ」「美しさ」を想像する一助になったはずなので、残念なこと。


でも、「雨」は倉敷の大原美術館所蔵作品とのことですので、
やがて訪ねたときには改めてポストカードを手に入れられるかも。
そして、同じ時期の他の作品にも、どこかで巡り合えようか…と思う
フォートリエ回顧展でありました。