2013年の展覧会見納めはブリヂストン美術館 の「カイユボット」展でありました。


これも行こう、行こうと思いつつ、昨日(12月29日)で会期終了でしたから、ぎりぎりのところ。

なかなか見られないギュスターヴ・カイユボットの回顧展だというのに、

巡回は無しということでしたので、まずはめでたしめでたし!


ですが、会場に到着するや、チケット購入の段階で列が出来ているを見て「げげっ!」と。

なに分にも(贅沢なこととは知りつつも)混んでいるというだけで

やおら見る気が雲散霧消するたちだものですから。


でも、何だってカイユボット展がかくも混むのか…「??」でありましたですね。

実際にチケット売り場の列でも、はたまた展示室に入ってからも

「カイユボットって誰?」、「カイユボットって知らなかった」みたいな囁きが聞こえてくると、

「なぜ?」の思いはなおのことでしたけれど、その謎はフライヤーを見てたちどころに解消です。


カイユボット展@ブリヂストン美術館


画像では見えにくいでしょうけれど、

「都市の印象派、日本初の回顧展」とのキャッチコピーが書かれてます。


印象派

これだけでも、日本人の多くがピクンと来るであろうところにもってきて、

日本初!というダメ押しの一撃。敢え無くノックアウトでありましょうねえ。


とはいえ、個人的にはカイユボットが印象派の画家だとは思ってないものですから、

これが油断につながったといいましょうか。


確かにカイユボット自身は印象派の画家たちと同時期に作品を描き、

印象派展にも参画していますから、繋がりのある画家どうしで

互いに影響されあう環境にあったとは思いますし、

本展にも「なるほど印象派らしい」と見える作品もあります。


が、カイユボットは印象派の作風を端的に表す画家であるという以上に

父親が軍向けの衣料・寝具で儲けた上に、

パリ大改造で需要の高まった不動産の取引などを通じて財産を得た資産家の息子であって、

モネ やルノワールを始めとする、いわゆる印象派の画家たちのパトロンとしての役割が

印象派との関わりを示すことなのではないかと。


カイユボットは数度の印象派展において、会場を手配し、運営費を拠出し、

しかも作品の買い取りもしていたわけですから。


後に、カイユボットのコレクションは国家に寄贈され、

それがオルセー美術館が所蔵する膨大な作品の中でも中核をなすものになっているとか。


例えば、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」やドガの「エトワール」などの

今では作者たちの第1級作品とも目されるものがカイユボット・コレクションであったそうな。


もっともカイユボットは1894年に46歳で亡くなってしまいます。

未だ新世紀に至らざる中、取り分けフランスでは印象派の評価が定まっていなかったのでしょう、

国が素直に(?)寄贈を受けたのはカイユボット・コレクションの半分ほど、40点だったと。


後から「残りもください」てなことを国が言い出したようですけれど、

故人の遺志にケチをつけられた遺族が「もうやるものか!」と秘蔵してしまった。

中には当然に含まれていたであろうカイユボットの自作もまた秘蔵されることになって、

結果、後世カイユボットを目にすることが難しくなってしまった一因でもあるようです。


と、解説めいた受け売りばかりでここまで来てしまいましたが、

ではカイユボットの作品や如何に?という方へ話を向けるといたしましょう。


先に「カイユボットを印象派の画家だと思っていない」てなことを書きましたけれど、

印象派の画家といったときにはモネやルノワール、ピサロやシスレーなどが思い浮かぶものと

思います。


一方で、まっ先にエドガー・ドガの名前をまっ先に挙げる人は必ずしも多くないのでは…。

ドガもいかにも印象派の画家たちと関わりがあり、印象派展にも出展していますけれど、

ドガの作風からして典型的印象派として意識するかどうかは別問題のような気がしますですね。


で、カイユボットはと言えば、とてもドガに近い印象を得るのでありますよ。

いわゆる印象派の画家たちが「自然」にこだわりを見せたのに対して、

ドガとカイユボットは「都会」にこだわりを見せたのではないかと。


そして、ドガは主として都会に生きる人々を描き、カイユボットの方は

(人物画もまま描いていますが)「パリの近代化」を活写するような都市景観を描いてます。

上のフライヤーに使われている「ヨーロッパ橋」(1876年)などは

カイユボットらしさが満開なのではないかと。


パリには「絵になる橋」がたくさんあろうところを、

敢えてこの鋼鉄感むき出しのヨーロッパ橋に取材し、しかもこの橋というのが、

近代化の象徴のような蒸気機関車が行き来するサン・ラザール駅の線路跨ぐように

作られているわけで、もうもうたる煙が上がるのも近代化の証しでありましょう。


また、この絵の奥側が低所得者層の集まるエリア、

手前側が高所得者の住まうエリアらしいのですが、これを結ぶ橋の上に

身なりの調った人物もいれば、労働者然として人物も描かれる…と、

当時のパリらしさを描くに打って付けとも考えたのでしょうかね。


とまあ、この絵ひとつをとってもモネやルノワールが描いた題材とは異なるでしょうし、

画風もまた対象をくっきり描き出していることだけとっても、

無理やり印象派に入れるのは「どうよ?」てな気がします。


出展作品には「印象派」ふうなものもあるんですが、

どうにもカイユボットの本来の方向性はそうしたところにないのでは?と思えるわけで、

カイユボットが描きたかった対象に見合う方法ではなかったのではとも思えてくる。


ですから、「都市の印象派」とのキャッチコピーでもって興味を起こした方がご覧になって、

果たしてカイユボットをどう捉えたのだろう…と考えなくもないですが、

印象派であろうがなかろうがカイユボットはカイユボットで(と言っては乱暴ですが)、

独自の視線と独自の構図でパリの都市景観を切り取ったその作品はとても魅力的。


ですので、あまり見られないカイユボットが見られただけで

僥倖と言える展覧会であったなと思うのでありますよ。