…ということで、ライプツィヒ造形美術館の次なる展示室に歩を進めますと、風景画がたくさん。

分けても特別扱いされているのでは?と思える画家がおりまして、それがこちらです。

 

 

この雰囲気で十分に察しがつくと思うところですが、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品。

1834年頃に描かれた「Lebensstufen(人生の諸段階)」、フリードリヒにしては妙に具体的なタイトルですけれど、

人生の諸段階を異時同図法で一枚の絵に封じ込めるのは見る側を引き込む手立てですなあ。

 

とはいえ、画面に湛えられた独特な雰囲気はフリードリヒらしいところですよね。

含意を探るというのもフリードリヒを見る楽しみなら、抒情に溢れたその画面に見入るというのもまた

フリードリヒの楽しみ方であってよいように思うところです。

 

この絵を真ん中に挟んで左右に配置された小品もまたフリードリヒらしいところかと。

右の月明かりの射す夜の海は1827年頃、左の雪景色の墓地もやはり1826~27年ころの作品で、

制作時期のいささか遅い上の絵の方が洗練さはやはりありましょうか。

 

 

と、前回見たカール・グスタフ・カルスはフリードリヒに絵の手ほどきを受けたと言いましたですが、

雪に降りこめられた墓地を描くなど題材までもすっかり師匠譲り、さぞ心酔していたのでもあろうかと思ったものです。

夏の落日の下、ドレスデンの遠景を描いた作品(ケムニッツ美術館にあるようです)などなど、

フリードリヒの作品ですよと言われれば信じてしまいそうな気もするところでして。

 

ところで、作品の並ぶ壁面にはフリードリヒの言葉の引用が書かれてありました。

拙訳で恐縮ながら、このような具合でしょうか。

芸術家の感覚は自身にとっての法であり、真正な感覚であれば自然に反するものでは決してありえない。むしろいつも自然と調和しているだ。その一方で、他人の感覚が我々に法として押し付けられるものではない。

「法」とは直訳になりますけれど、「従うべきもの」といった意味合いでしょうかね。

これによれば、フリードリヒは自然との調和を常に意識していたと思えてくるわけでして、

描かれたところを見てあれこれ思い巡らしたくなる、あるいは想像を喚起させるといったことはあるにせよ、

もそっと素朴に見た目の自然を大事にし、また畏敬の念も抱いていたてなふうにも言えましょうか。



繊細なスケッチ(にわかにフリードリヒが描いたとは気付かないような作品ですが)を目の当たりにすると、

そんな気がなおのことしてくるように思うところでありますよ。

 

かようにフリードリヒ作品に向き合った後は、また壁の色が変わって次の展示室…ということになりますが、

そのお話は「つづく」ということで。