名画を巡るドタバタを扱った映画を2本、続けて見ましたですが、それぞれ傾向は異なるところながら通底するのは「お金」ということになりましょうかね…。一本目は『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』というドキュメンタリー(でしょうねえ)でありました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品とされていた傑作が発見され、オークションにかけられることに。果たして真作であるのか、贋作であるのか。当然に専門家による鑑定が行われるわけですが、なかなかに判別をつけにくい代物であったようで。長い長い間の傷みやらその時は良かれと思った修復などが繰り返されていたようですし。
そんな中、英国の鑑定者のひとりが「どんな状態となっても放つオーラは変わらない」としたことで、「オーラ感、あるよね」が独り歩きして、ロンドンのナショナル・ギャラリーで開かれたダ・ヴィンチ展で展示されるなど、存在感がどんどん増してしまうのですな。でもって迎えたクリスティーズのオークションでは匿名の入札者から510億円にもなる入札額が提示されて落札。これほどの大金で競り落とした人物とは?ということが焦点にもなっていくという。
で、渦中の人物はもちろん大金持ちなわけでして、「それにしても、なんでこの人がキリスト像を?」と思わずにはいられない買主の素性は映画に譲るとしまして、つくづくアートが投機対象と見られておるのであるなと。
これに対して、もう一本の方も「なんでこの人の手元にあの絵があるの?」とも。『ゴヤの名画と優しい泥棒』という、こちらは英国で本当にあった事件をもとに作られた映画なのだそうです。
1960年代のニューキャッスルといえば、炭鉱町としての賑わいに陰りを見せていた時期でしょうか。主人公のケンプトン(ジム・ブロードベント)も年金の足しに仕事をしたくても見つからないようで。そんな中で、公共放送たるBBCが高齢者からも受信料を取るのは無料化活動に取り組んだりしていては、アルバイトにありついても長続きしないのですな。どうも手よりも口の方がよく動くタイプですものね。
と、そんなケンプトンはあるとき、英国政府がある有名画家の絵画作品を14万ドルもの金額で手に入れることをニュースで知るのですな。作品はナポレオン戦争で英国側に勝利をもたらした英雄ウェリントン公をフランシスコ・デ・ゴヤが描いた肖像画で、まあ、ナショナルギャラリーに飾りたくなるのも分からないではない一枚かと。ですが、ケンプトンにとっては購入費の予算を高齢者の受信料負担分に充てたとすれば…てなふうに考えてしまうのでありますよ。
で、あろうことか、実際に購入され、ナショナルギャラリーに飾られていたこの作品を手中に収めたケンプトンは、絵の身代金?として購入代金を要求することに。もちろん、使い途は高齢者のBBC受信料負担を肩代わりするつもりで…。
結果的には目論見は外れて、自首することになりますけれど、その後の法廷闘争がまた見ものなのですなあ。これまでニューキャッスルの街頭に立って、受信料無料化の訴えを唱えるも、単なる変わり者と思われこそせよ、耳を貸されることの無かった主張を堂々と展開する場が与えられたわけですから。さらに、ケンプトンの頓珍漢な受け答えに検察側は翻弄され、傍聴席は爆笑の渦に巻き込まれるという。このあたりはフィクションなのでしょうけれど、ケンプトン役のジム・ブロードベントの飄々とした受け答えは何とも秀逸といいましょうか。
陪審員によって下された評決は、どこへやったか分からなくなって、返還できなくなってしまった額縁を盗んだ罪のみを有罪とし、ゴヤの絵の盗難に関しては不問(無罪)を告げるとは、庶民感情の発露でもありましょうかね。この部分は現実の出来事なのでありましょう。ただ、結末を迎えたかに見えたのちの後日譚では、もそっと話は複雑であったことが明かされるというのも、凝ったところですかね。
とまあ、名画にまつわる2本の映画。方や莫大な金額が電話一本(オークションの電話入札)で動かされ、方や独居老人のわずかな楽しみであるTV放送が受信料不払いで受信不可にされるのが、この世界には同居しているのですよね…。うむむと思うことしきりではなかろうかと思うところなのでありました。