東京・新木場にあります「第五福竜丸展示館」を訪ねて、思いのほか大きなその船体を見上げたところまでは触れましたですが、同館の展示についてはもう少々。当然のことながら、第五福竜丸が被曝した経緯からその後のようすについて、詳しい解説がパネル展示されておりまして。
出航地が静岡県の焼津港であったことでもあり、昨年訪ねた焼津市歴史民俗資料館には「第五福竜丸」関連の展示コーナーが設けられていて、多々知るところとなったわけですけれど、ここではさらに細かなあたりを。
焼津を出港してひと月あまり、当初は太平洋を東に向かい、ミッドウェー島を過ぎたあたりで南西に転針、良い漁場を探していたようですね。やがてマーシャル諸島のビキニ環礁近くに至りますけれど、予めアメリカでは核実験実施に伴って設定していた危険地域をぎりぎり外れているあたりを航行することに。ですが、福島原発の事故の際にも放射性物質は風に乗って北西方向に広がり、離れた場所にも被害を及ぼしたことと同様に、ビキニ環礁で行われた水爆実験の際も北東方向、つまりは危険区域外ながら第五福竜丸が航行しているあたりに被曝被害をもたらしたのであったようで。
時に1954年3月1日午前6時45分、実験に使用された水爆は「ブラボー」と命名されていたようですが、アメリカとしては東西冷戦の対応上、水爆は不可欠なもの、自らの立場からすればまさにブラボーなものだったようですけれど、「爆発威力は広島原爆の1000倍」というような兵器の開発を、広島・長崎後も続けていたとは…。冷戦下とは、そんな時代であったということになりましょうか…。
展示ケースに入ったガラス瓶の中には白い粉末状の物質が見えているのですけれど、いわゆる「死の灰」であると。帰港した第五福竜丸から採取した物質を調査したところ「27の放射性核種が検出された」そうな。「水爆炸裂の死の灰は高層に吹き上がり、気流にのり地球上を周回した」となれば、「雨に濡れると禿げになる」と囁かれても当然であったかと。
もっとも、個人的な経験からすれば第五福竜丸の被曝事故から十数年を経てもかかる言説が世の中にあったのでして、アメリカの実験が続いたことと共に、中ソなどの核実験もあったことから、空気中に残留物がたくさんあったということになりましょうかね。
とまれ、かように悪影響をまき散らす核実験では第五福竜丸ばかりではない漁船が被害を受ける一方で、当然にしてマーシャル諸島の人々の生活にも被災は及び、さらに実験に関わった軍人などにも被害が出ていたというのですな。その辺りのことが特別展「世界のヒバクシャ-核開発・核実験のもとで」で紹介されておりましたよ(会期は2023年3月26日までとフライヤーにはありますが、どうやら延長されているようで)。
本展示では…世界中に遍在する核開発、核実験による被害をとりあげます。広島・長崎への原爆投下以降、各国で取り組まれてきた核兵器の開発は、広範な地域を汚染し環境や人びとに悪影響を与えてきました。いま核兵器を保有するのは193の国連加盟国のうちの9ヵ国で、そのうちの5ヵ国(米・ロ・英・仏・中)は水爆も保有します。現在、世界に存在する核弾頭は12,720発。おこなわれた核実験は2063回(うち大気圏528回、地下1,535回)にのぼります。
第五福竜丸の船体を取り囲むようにパネル解説が並んでおりまして、さまざまなところに甚大な影響を与え続けてきたことを思い知るのでありますよ。
実験でさえ数多の被害が生じる核兵器が広島・長崎以来、実戦使用されなかったのは何よりではありますけれど、冷戦終結を経た今になってきな臭さが再燃しようとは誰に想像ができたでしょうかね。
ビキニ環礁の水爆実験の後、核実験・核兵器への反対運動が世界中で巻き起こり、1955年には哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アルバート・アインシュタインの起草による宣言文が発表されましたが、今、改めてこの「ラッセル=アインシュタイン宣言」に思い返す時なのかも。
「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955年7月)
ビキニ水爆の破壊力は、広島原発のおよそ1,000倍であった。現在(宣言当時)では、2,500倍もの水爆を作ることができるとも言われている。恐れるべきは、爆発によりまき散らされる「死の灰」によってじわじわと広がる病による死であり、もし核戦争が起これば、全世界的な死が訪れるだろう。
私たち人類は、核兵器によって自ら滅びるのか、それとも核兵器と戦争をなくし、発展した未来を選ぶのか。
核兵器を禁止し、なくすことができても、ひとたび戦争が起こればすぐに核兵器は作られてしまうだろう。だからこそ、戦争によって問題を解決しようとしてはいけないのだ。
私たちはこの問題に、国や人種、信条、宗教の違いを超えて「ヒト」という種の一員として向き合わなければならない。
「ヒト」としてこれに共感しないということは全く無かろうとは思うものの、国という枠組みを守るという大義(名分?)の前では脇に置かれがちにもなろうかと。「国」というのも「ヒト」が生み出した社会システムでしょうけれど、これが決して万能ではないわけで、国ありきに振り回されるとかつて戦争に突進した日本の姿が浮かんでもこようかと思うところです。そうした点では、国という枠組みには大きな弱点があるような気がしますですね。
先にも触れましたようにこの「第五福竜丸展示館」は「東京都立」であって、必ずしも国は関わっていない。国の側の理屈としては、いざ「国という枠組みを守るという大義」を掲げる際に(つまりは戦争をする際に)困るようなことには近寄らずにいようてな思いなのかもですなあ。とまあ、そんな思い巡らしにも至った「東京都立第五福竜丸展示館」なのでありましたよ(もっとも、東京都がこうした点で積極的になにか発信しているかといえば、?ではありますが)。