…ということで、焼津市歴史民俗資料館の第五福竜丸関係展示コーナーへ。1954年(昭和29年)3月、太平洋上のビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われ、日本の漁船・第五福竜丸が被曝しますけれど、この船は焼津港から出航したマグロ延縄漁船だったのですなあ。

 

 

第五福竜丸といえば、東京・江東区の夢の島にある「第五福竜丸展示館」で船体そのものが保存展示されていることで知られておりますな。当時の江東区夢の島は、東京湾埋め立ての最前線で、その名に反してごみ処分場でしかなく、誰も近寄らないような場所だったわけですね。被曝した第五福竜丸は一端は焼津に帰港しますけれど、残留放射能が検出されてからは漁業の町に置いておくことはできず、打ち捨てられるように東京湾の埋め立て地の突端に留め置かれた…という経緯があったようです。

 

 

世界で唯一の被曝国である日本の漁船であっただけに、またしても核の脅威にさらされたとして乗組員の被曝が大きな問題となりましたですが、話は乗組員や船体だけのことに留まらず、公海上、また空気中を放射能が汚染したとして世論を大きく騒がせることになったわけで。実際、こんなこともあったということでありますよ。

東京、三崎、焼津、清水、塩釜が検査指定港となり、その後入港してくる対象海域の漁船はすべて検査され、基準値以上の放射能が測定された魚は廃棄処分となりました。
ときおり検出される汚染魚に国民の不安は消えず、魚離れが進み、水産業界は甚大な被害をうけました。また、料理店、寿司屋などの店にも客はよりつかなくなるほど、国民生活に大きな影響を及ぼしました。

原子力利用に関わる風評被害で漁業関係者が苦境に立たされるというのは、どうにも昔のこととばかりは言えませんですねえ。国を動かす側の人たちというというのは何事につけ、都合よく忘れるのが得意な人たちなんでしょうか…。

 

 

当時…といっても、第五福竜丸の被曝から十数年は経っていた頃ですけれど、その頃の小学生でさえ、「雨に濡れると(放射能で)はげる」という話が浸透しておりまして、放射能雨の脅威は長らくまことしやかに伝えられていたものであるなあと、思い出したりもしたところです。そんな「見えない恐怖」を「見える化」して見せたのがこの映画、『ゴジラ』の第1作でしたなあ。

 

…作品の中で、ゴジラは、このビキニでの水爆実験により安住の地を追われた、あるいは、放射能を浴びて変貌した生物と説明され、第1作のキャッチコピーは「水爆大怪獣映画」とあります。
第五福竜丸事件が起こったのは、昭和29年の3月1日。映画の公開は、同年の11月3日でした。事件後、水揚げされた魚から納車能が検出され、各地で放射能を含んだ雨が降るなど、全国民が放射能の恐怖におののいている時期でした。

こうした経緯から、焼津市では核実験禁止、核兵器廃絶の決議がなされたりしていますけれど、一方でほど遠からぬ御前崎市には浜岡原発がありますね。運転は完全に停止されているとはいえ、相変わらず使用済核燃料は残されている。中部電力では「浜岡原子力発電所の燃料プールや原子炉建屋は、南海トラフ沿いの最大クラスとされる地震に対しても、必要な耐震性を確保します」(同社HP)と言ってはおりますが、果たして…。東日本大震災で、人間の想像を遥かに超える事態が起こり得ることを目の当たりにさせられたのですのにね。ひとたび暴れ出されたら、ゴジラどころの騒ぎではないでしょうに…。