もう2カ月も前になりますか、NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』で「戦争の中の芸術家」が取り上げられていたのは。難しいところなのですよね、時の勢いといいますか、そうしたものが冷めてみると、「なぜあんな戦争に加担するようなことをしてしまったか…」と悔悟の念に捉われたりする話はよくありまして、戦時中に従軍画家となった藤田嗣治などもそうした一人でしょうか。番組では「ペン部隊」とも呼ばれた従軍作家たちの中から、『麦と兵隊』で知られる火野葦平を取り上げて自死に至る背景にはやはり、結果的にもせよ、戦争に加担してしまった呵責があったように受け止められたものです。

 

一方で。番組冒頭、真っ先にクローズアップされていたのは、ドイツの指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーでしたですね。ナチが台頭してからもドイツに残ってベルリン・フィルを指揮し続け、ヒトラーの誕生日を祝う演奏会にまで引っ張り出されて…ということから、大いにナチとの関係を疑われた人でありますね。以前、非ナチ化審問のようすを舞台化した『テイキング・サイド』という芝居を観ましたけれど、あらゆるものに対して絶対的な「音楽の力」のようなものを信じて全く疑うところの無いフルトヴェングラーの姿を思ったりもしたものです。

 

考えようによってはそこにフルトヴェングラーの無垢さ(それをこそ、トーマス・マンなどは厳しく突くわけですが)を見出して、今回の番組の締めくくりに感じられるように、フルトヴェングラーに好意的に過ぎるかも…と考えたりも。そんな思い巡らしから予て読もう、読もうと思っていた一冊をようやっと手に取ることに。『フルトヴェングラーとトーマス・マン ナチズムと芸術家』なる一冊です。

 

 

帯にある「無知」は罪か-という言葉は、戦後になって捕らえられ、イスラエルで裁判が行われたアイヒマンに対するハンナ・アーレントを思い出しますが、先にも触れたようにトーマス・マンの突っ込みはまさにそうした点でもあるのですよね。どうやら姻族を通じた関わりから、全く知らない仲では無かったと思われるフルトヴェングラーとトーマス・マン。互いに当人たちはドイツ人ですけれど、方や戦時中は一貫してドイツに留まり、方やドイツを離れてアメリカで亡命生活を送るといった大きな違いが生ずる中、若干の手紙の取り交わしがあったようでして、この手紙をもつぶさに見ていくことが本書では行われているのでありますよ。

 

フルトヴェングラーとしては、この(戦時中の)困難な時期だからこそドイツの人々に音楽(の福音)をもたらさねばならない、見捨てることなどできないという理屈、というより信念ですな。マンにしてみれば、カリスマ指揮者であらばこそその一挙手一投足が全てナチに利用されている、結果的に加担していることになると、どうして考えないのかとなるわけで。

 

先に「音楽の力」と言いましたですが、さまざまな意味で音楽には感化する力があるとは思いますが、フルトヴェングラーが作り出す音楽は確かに聴衆の心を揺さぶるものであったにせよ、そこから人類愛に思い至り、ナチの牛耳るまま、今のドイツではだめなのだという思いや、果てには動きにつながるかと言えば、さすがにそこまでのものでは無かったということになりましょうか。ただ、フルトヴェングラー自身はこれを最後まで信じていたのでしょうけれど。だからこそ、戦中にドイツに留まったことを全く後悔していないと明言してしまうわけで。

 

今になってみれば、明らかにナチに支配されたドイツがしでかしたことは白黒ついているものと思いますが、現在進行形で渦中にある中のドイツになっては、自分たちの窮状の救い主をヒトラーに見ていた向きもあったのではあろうと想像するところです。何しろ、ナチが政権党になったのは選挙の結果であるわけですし。

 

さすがにホロコーストのようなことまで起こってしまうと、個々の人々は考えてもいかなかったかもですが、レールは勝手に敷かれたのではないのですよね。どの段階で、このまま行くと危ういと考えるかということも人それぞれだったと思いますけれど、フルトヴェングラーはまだ(音楽の力で)なんとかし得ると思っているうちに、深みに嵌ったということでしょうか。また、自らの(音楽創造者としての)カリスマ性を自覚するがために、音楽の分野においてはナチの高官たちであったも太刀打ちのしようがあると思い込んでしまったのかもです。本書では、ゲッペルスの日記に記されたフルトヴェングラーとの非常に興味深いやりとりが引用されておりましたですよ。

 

諸々の言動を追うにつれ、フルトヴェングラーの誤謬は自らの思い込みによるとなるかもしれませんが、その思い込みの中の片隅には(こういってはなんですが)ナチと共鳴する部分が全く無かったとは言えないような気もしてきます。なんとなれば、信じて疑わないことの中には「ドイツ音楽の絶対的優位性」といった感覚があったのではと思えるのですよね。それも、オーストリアなども含む「大ドイツ」的な広がりをも意識させるドイツ音楽という括りでもって。こうしたドイツなるものの優位性とその広がりの統一感、これらはナチが目指したところと決して遠くない考えだったようにも思えるわけでして。

 

「音楽」は国境を超えるとか、普遍的なものであるとか、そのことが誤りであるというつもりもありませんですが、その作り手はとにもかくにもどこかしらの「国」に帰属することになっていますですね。その部分に何らか揺らぎが生じたときにはどうしたらいいのか、どうするべきなのか、相対する側としてはどんなふうに向きあえるのか、このあたりは、ロシアとウクライナの交戦状態が現在進行形である中では、昔のこととばかりは言っていられないところがあるようにも思うところですが、今でもこういうことが起こっているとなると、なかなかに難しいところであると、考え込んでしまったりするのでありました。