先日、指揮者エーリヒ・クライバーのことに触れました折、
「ヒンデミット事件」を引き合いに出しながら「有名な」というだけで終わらせてしまいましたけれど、
この際ですからこのあたりをもう少し…ということに。
ナチス政権は「芸術」を独自の指向性に適うものは擁護するも、そうでないものは徹底排除であって、
それらをひとまとめに「退廃芸術」などと呼称したりもしていたわけですね。
どちらかというと美術の分野で知られるかもしれませんですが、
音楽にもやはり「退廃音楽」とのレッテルを貼られるものがあったのでありますよ。
ユダヤ人作曲家の作品は真っ先に矢面に立たされる一方で、
ユダヤ人ではなくとも訳のわからない現代音楽を作るのような作曲家もまた狙い撃ち状態に。
そのひとりがパウル・ヒンデミットだったわけですね。
1934年、フルトヴェングラーはベルリンでヒンデミットの新作オペラ「画家マティス」の上演を予定し、
まずはオペラの中の曲から構成された交響曲「画家マティス」を演奏会にかけたところ、
評価は上々、さあオペラの上演だ…思ったところへ、ナチスから「上演、まかりならぬ」とお達しが。
ヒンデミットに対する嫌がらせに業を煮やしたフルトヴェングラー、
怒り心頭でヒンデミット擁護の記事が新聞されたものですから、ナチスも黙っていられない…。
ですが、フルトヴェングラーは必ずしもナチスに屈したわけではありませんが、それでもドイツに残り、
一方でこのときにエーリヒ・クライバーがドイツを離れたことは先に触れたとおりです。
エーリヒの場合には奥さんがユダヤ系であったという、音楽以外の要素もあったようですけれど。
というような曰くのある「画家マティス」という作品、オペラは手元にないものですから、
交響曲の方を改めて聴いてみようと取り出したのがこちらのCDでありまして。
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮の北ドイツ放送交響楽団の演奏ですが、
CDまるごとヒンデミット作品なのですなあ。
まずは今回のお目当てである交響曲「画家マティス」、
これに続いて管弦楽組曲「気高き幻想」(元はバレエ音楽だそうで)と交響的舞曲が収録されておりまして、
ナチスに疎まれ、ゲッベルスからは「無調の騒音作家」(Wikipedia)と罵られたというほどには
どの曲もいわゆる現代音楽のびっくりに出くわすこともなく聴けるように思いましたですよ。
このあたり、1930年代当時の耳(とりわけナチスは新奇な方向に神経をとがらせていたことでしょう)と
それから何十年も経って聴く耳とは受け止め方が異なるところがあろうとは思いますけれど。
とまれ交響曲「画家マティス」の、このタイトルのことなのですが、
てっきりフォーヴィスムの画家アンリ・マティスのことかと、長らく思い込んでいたのですなあ。
されど、実はここでの画家マティスとはドイツの画家マティス・ゴートハルト・ナイトハルトであると。
むしろマティアス・グリューネヴァルトという名の方が広く知られていますけれど、
曲はこの画家の代表作であるイーゼンハイムの祭壇画にインスパイアされたものであるということです。
2016年の夏、フランス・コルマールのウンターリンデン美術館でこの作品を目の当たりにしたですが、
祭壇として何枚もの扉が開く、そのおもてうら全面に描かれて、力感、悲壮感、そういったものの伝わり方が強い。
つくづく大作であるなあと思ったところながら、ご覧のように展示室は外光を得てとても明るいのですよね。
もともと置かれた修道院の礼拝堂は、おそらくはもそっと光が少なく、それならば反って神秘性、静謐感を増すような。
そんな中でヒンデミットはこの祭壇画と対峙し、霊感を受けたのではと思うところです。
曲は3つの楽章から成っておりまして、
それぞれに「天使の合奏」、「埋葬」、「聖アントニウスの誘惑」という場面が当てられているのですね。
第1楽章の「天使の合奏」はこの部分、聖母子に向けて音楽を奏でているところですね。
第1主題はドイツ民謡の「3人の天使が歌う」の引用と言いますから、いかにもな感じ。穏やかに始まります。
ああ続く第2楽章は「埋葬」、磔刑となったイエスの亡骸を下したところでこれから墓へという場面。
これに付く音楽はラメンテーションのようでもあろうかと想像するところながら、
静謐ではあっても、特段の感情表出はないような…。もともとがオペラ幕あいの間奏曲だからなのかもです。
そして、第3楽章の「聖アントニウスの誘惑」ですが、絵を見る限りでは誘惑されているというより、
襲撃を受けているといった体ですな。
麦角中毒、このことは以前のイーゼンハイム祭壇画のことを書いたときに触れましたですが、その麦角中毒では
幻覚を見るといった症状もあるとかいうことですから、麦角中毒の施療院でもあった修道院に収められただけに
こうした攻撃的な描かれようになったのでありましょうかね。
ただ音楽的には画面に見るほどの激しさはありませんので、
この曲がイーゼンハイム祭壇画に見られる図像をそのまんま音で表現しようとかいう、
いわばリヒャルト・シュトラウスがやりそうなことをやっているわけではないということでありましょうか。
全体に祭壇画の中に見られる図像を楽章ごとの標題のように用いてはいるものの、
旋律自体はあとから完成するオペラのために考えられているわけですから、
あまりに図像を意識しすぎるのもヒンデミットの意図には合わないことなのかもしれないと思ったりするのでありました。
とまあ、改めてヒンデミットの音楽を聴いてきたところで思うのは、
ナチスに目の敵にされたのは必ずしもその音楽の故ばかりではないのではないかなあと。
ユダヤ系の音楽家と演奏活動をするとか、そっち方面のことであったかもです。
しかしまあ、作曲ばかりでなくヒンデミットは指揮の方でも活躍した人で、
第二次大戦後の1956年、ウィーン・フィルの初来日を率いた指揮者がヒンデミットであったそうな。
そのヒンデミットが今ではもっぱら作曲家と認識されている一方で、
作曲家として見られたかった(らしい)フルトヴェングラーの方はもっぱら指揮者として見られている。
面白いというか、皮肉なものでありますなあ。