しばし前に相模湖交流センターに併設されたアートギャラリーで「加藤真史 個展 Suburban Undercurrent」という展覧会を見たのですけれど、会場にあった展示作品目録の裏面に作家自身による一文が掲載されていたのですな。そこには神奈川県相模原市(ちなみに相模湖も相模原市)に十数年過ごしている者として、市内で個展を開いた際に「相模野という日本有数の郊外を流れるいくつもの底流を題材とした」てなことが書かれてありました。

 

で、その題材とした底流の中に、「鶴川~淵野辺~上溝間の幻の鉄道線」、「軍都相模原」といったワードが含まれていたのでして。幻の鉄道線の方は、以前に相模川ふれあい科学館アクアリウムさがみはらを訪ねた際にも近辺で鉄道誘致の看板を見かけましたように、小田急多摩線が唐木田駅で唐突にデッドエンドとなっていること、つまり相模原駅方面への延伸が叶わない状態にあることを「幻の…」と言っているのかと思いましたら、どうやらそういうことばかりではないような。かつて五島慶太が経営に携わっていた頃の小田急では、多摩地域に小田急線が環状運転するような線路網の建設までが検討されたことがあったとか。そんなあたりも含んでの「幻の鉄道線」だったのですなあ。

 

また、「軍都相模原」の方はといえば、多摩地域に旧陸軍関係の施設があったこととも絡んで、相模原もまた、ということだったのでしょうかね。で、その辺りの事情を(あわよくば幻の鉄道線のことも)些かでも知ることができようかと、相模原市立博物館へと足を運んだのでありまして。ついこの間、新座市立歴史民俗資料館で少々期待外れの目に遭ったばかりですのにね(笑)。

 

JR横浜線の淵野辺駅から徒歩でおよそ20分という、何とも中途半端なロケーションですが、博物館周辺には野球場やスケートリンクなども抱えた大きな淵野辺公園があったりして、実はこの場所がそもそも軍都であった名残のようなのですな。1974年の全面返還以前は米軍のキャンプ淵野辺が置かれており…ということは、敗戦前は日本陸軍の施設だったのですなあ。ちなみに、博物館のお隣にはこのような施設もありましたよ。

 

 

「国立映画アーカイブ相模原分館」とありまして、しばらく前にEテレの『ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪』で取り上げておりましたなあ。東京・京橋にある本館は展示や映画上映も行う施設になってますが、こちらは完全なバックヤード。一般の人は立入不可の貴重なフィルム収蔵庫になっているわけでして。と、それはともかくこれのお隣、訪ねたのは相模原市立博物館なのでありました。

 

 

「相模原の歴史や自然を扱う総合博物館」というあたりは、いずこの郷土資料館でも基本的には同じですので、ここでは「台地の生いたち」として相模原台地はどのようにして出来たかというところから展示は始まっておりましたよ。

 

 

有史以前の、太古の昔の話ですので、マンモスの頭部化石なんぞも展示されておりますし、かつては日本にもいたらしいヘラジカはこんなに大きな生きものだったのですなあ。

 

 

とまあ、そんな昔々の話として些か興味を引かれたのは地勢の部分ですな。おおむね神奈川県はこんな地勢図で表されるわけですが。

 

 

手前に大きく弧を描いているのが相模湾でして、右側の三浦半島から半円形の海岸線を経て左側の小突起(真鶴半島)の先には大きく伊豆半島が続いておりますな。そも伊豆半島はプレートの動きに乗って本州にぶつかったのである…とは聞き及ぶところながら、丹沢(写真の左上あたりの山塊)あたりもまた伊豆半島に先立って本州にぶつかった火山島であったそうな。追っかけ伊豆半島がぶつかったことで、さらに隆起が大きくなったのでもあると。

 

ちなみにこの博物館で肝心な相模原台地ですけれど、右手の三浦半島から北へ向けて延びる多摩丘陵と左手の丹沢山地に挟まれて、帯状に北へと広がっている部分になりますですね。高台は結構な広がりをもっていますが、相模川が貫流して低地を形成していたりも。

 

ですがその相模川は元来、相模湾に注いでおらず、多摩丘陵の際をかすめて多摩川に合流、つまりは東京湾に流れ込んでいたそうな。相模湾の方へ流れるようになったのは今から40万年~30万年くらい前で、その頃は箱根火山の噴火活動時期でもあり、火山からの噴出物が堆積していったようですので、多摩丘陵を抜ける流路が塞がれてしまったかもしれませんなあ。

 

 

こちらは(見えにくくて恐縮ですが、相模川の位置は検討がつきましょうか)、もそっと後、およそ6万年前の箱根火山大噴火によって、火山灰や火砕流堆積物が各地に影響を及ぼしたことを示しているのですな。相模原台地にはだいたい40cmから1mに及ぶ範囲で降灰・堆積があったとか。図に「東京軽石」とありますのは、この時の噴火が関東地方に大量の軽石などを積もらせたところから来ている…てなことになりますと、いわゆる「関東ローム層」と言われる起源は富士山の影響ばかりでないのであったかと今さらながらに。

 

 

とまあ、わざわざ相模原市立博物館に足を運んだ主目的はともかくも、入口部分に引っかかりすぎて長くなってしまいました。地域の総合博物館としては、相模原の自然を扱う展示部分などもあるわけですが、そのあたりはちと端折って、次には相模原の軍都ぶりを見てまいることにいたしますです、はい。