唐突ながら、相模湖に行ってきたのでありまして。高尾山の向こうというのが相模湖を遠く感じさせるところながら、東京でも西方の多摩地域からすれば、中央線の快速電車でたまに走っている大月行きをつかまえますと途中乗換も無しに30分ほどで到着できる。実は都心に出るより余程近いとは改めて感じたものでありますよ。

 

ひと頃は相模湖ピクニックランド(現在はさがみ湖プレジャーフォレスト)に何度か出かけたりしたものですが、山の上に聳える大観覧車に運悪く?強風吹きすさぶ中で乗ってしまい、プチ高所恐怖症としては大いに肝を冷やして以来立ち寄っておらず、一昨年秋、相模湖畔に立ち寄ったときには移動途中のトイレ休憩みたいなものであったりして。

 

だからといって、今回改めて相模湖畔をじっくりというのでもなく、またプレジャーフォレストに行ってみるというのでもなく、向かうのは上の写真で駅のホームから右手にこんもり聳える山の手前側あたり。湖に近寄ることもなく、目指して行ったのでありました。

 

 

で、たどり着いたのがこちらの施設、神奈川県立相模湖交流センターでして、中に併設されているアートギャラリーを目当てにここまでやってきたのでありますよ。もはやどこで入手したのか忘れてしまったものの、このフライヤー(というより、画廊の展示紹介によくあるDMハガキですかね)に「ぴくん!」とするところがあったものですから。

 

 

おそらくはまだまだ新しい施設のようですね。交流センターというように、基本的には地域の人たちが集う場所として、ギャラリーもあればホールもある。ちなみに、ホールは「ラックスマンホール」と呼ばれるようでして、あの!オーディオ機器メーカー、ラックスマンの名を冠している以上、さぞ良い音響なのでしょうなあ。ですが、今回はアートギャラリーの方へ。

 

 

開催中であったのは「加藤真史 個展 Suburban Undercurrent」という展覧会でして、なんでも「「郊外」「風景」「地図」をテーマの芯とする美術家・画家」(同センターHPより)の作品展ということなのですな。作品作りのベースとして、「地図」を相当に意識しておられるようで。

 

個人的には上のDMハガキに「びくん!」と来たと申しましたですが、ハガキの背景になっている画像では作風が判然としないでしょうから、会場にあった実作の画像がこちらです(基本的に写真撮影は可ということで)。と言っても、163cm×130.3cmという大きな作品ですので、より分かりやすく部分拡大版にしてみましたが、それでも分かりにくいですかね。細密だものでして。

 

 

タイトルは「Trace the Trace(Hashimoto)#2」というもの。土地勘がある人ならば、タイトルが「Hashimoto」であるところからして、神奈川県相模原市の橋本駅を中心としてエリアの上空からみた、あたかも航空写真のようだと気付くのではないでしょうか。JR横浜線と京王相模原線の乗換駅であることが線路のぐあいから何となくわかりますですね。

 

で、この「Trace the Trace」というタイトルの連作は押しなべてこうした見た目になっておりまして、それこそ航空写真と何が違うのであるか、つまりは描く意味があるのであるか…てなこともまで考えてしまうところですが、そこはそれ、ウォーホルやリキテンスタインのポップアートがすでにあるものを写し取っただけと言ってしまってよいかどうかという話と似たようなことなわけです。実際、航空写真ではなくして描かれたものですので、見る側の見方にもやはり違いが出てくるような。例えば「どんなふうに描いているのだろう」と矯めつ眇めつしてみたり。航空写真に対して、どんなふうに撮ったのだろうとは思わないわけですけれどね。

 

 

こちらはもそっと近作で「ATRACE(Musashino)」という作品。これまた「Musashino」とあることから思いを巡らしてみればなるほど、左上に多摩湖、狭山湖の形が見て取れ、それを糸口とすれば地図ベースであることが分かってくることに。されど、一見したところでは抽象画のように見えてもきますですね。そうでありながら、実際の場所場所として極めて具体的、具象的な対象物であるのですなあ。このあたり、とても面白いところなのでありますよ。

 

と、そんなところから翻って考えますと、「地図」そのものがアートと捉えることもできましょうし、どういう地図を作るかということもアート作品作りと言えないこともない。見た目で考えるところもありますけれど、こんな具合に「地図」は実用一点張り、「地図」は「地図」でしょ…と改めて考えてみることもないことに揺らぎを与えると言いますか、そのありようがまた「アートなのであるなあ」と思ったものなのでありました。わざわざ相模湖まで、思い切って?出かけた甲斐はあったというものなのでありましたよ。