「あなたの愛されポイントを表彰しちゃいます♪」ということで引き当てた表彰状は「マイペースで賞」とやら…。かつて企業などの組織に属して仕事をしていた折に、「マイペースだねえ」という言葉は決して誉め言葉ではなかったように思い出される「昭和」の勤め人にとっては、なんとも微妙なところを引き当てたものであるなあと(笑)。
もっとも、日々の仕事からすっかり足を洗った今となっては、毎日が何事もマイペースと言っていいのかも。何しろ相対する顧客や上司、部下、同僚もいないわけですし、締切に追われるようなこともありませんしね。たまぁに何らかの手続きに期限が設けられていたりすると、「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、勤め人だった頃の刷り込みが強いのか、俄然段取りに腕まくりしてしまったり。もっとも、そんなこともすぐに片付いてしまうのですけれどね。
ともあれ、今やすっかり誰はばかることの無いマイペース生活なわけですが、そんな中でどうにも思うように旅行に行けないのはどうしたことでありましょうかねえ。昨秋は十和田市現代美術館で見たい展覧会があって準備万端であったのが、ふいに父親の検査が入ってしまってキャンセル。年明け1月には、四国の西側半周という大ドライブ旅行に便乗するつもりでいたものの、コロナ罹患の後遺症が長々続き、ひとりだけ事前脱落。つい先ごろも岡山で備前焼の里を訪ねたり巨大古墳を見たりという目論見で出かける寸前にインフルエンザに見舞われ、これまたキャンセル。いやはやで。世の中ままなりませんなあ。やることなすこと全てがマイペースでいいはずなのに(苦笑)。
ともあれ、この後はさらなるマイペースを貫くべし!と「マイペース宣言」でもしようかと思ったりしますですな。で、話の流れをすっかりマイペースで変えてしまいますが、先に「埴輪」の本を読んだ折、表紙カバーの写真などにも出てくる人物埴輪を見て、「ぽっかりと空いた目と口、短い手足、あどけない表情。心が癒される可愛らしい造形…」てなところに「そうだよねえ」と思いつつも、この素朴な顔付きがやおら憤怒の形相に代わるのだよなあとも。なんのことか、もしかすると想像の付く方もおられようかと思いますが、要するに『大魔神』を思い浮かべていたという次第なのでありますよ。1966年(昭和41年)の映画です。
いわゆる怪獣映画が流行りの時代、スクリーンの中では巨大な怪獣が暴れまわったりしていたわけですが、『ウルトラマン』(TVですが)以前、巨大ヒーローはまだ珍しかったところ、ゴジラに対抗してガメラを登場させた大映がいささか別路線として作ったのが『大魔神』であったような。
これを巨大ヒーローと呼んでいいのかどうかは難しいところですけれど、だんだんと時代劇映画が作られなくなっていった頃(東映でもだんだんとヤクザ映画路線にシフトしましたなあ)でもあり、怪獣ものの流行路線と時代劇を懐かしむあたりへの追従とをないまぜにしたような『大魔神』、それなりに受けたのか、『大魔神怒る』、『大魔神逆襲』と計3本作られたのですよね。全て見たことはありますが、今回は一本目の『大魔神』を久しぶりに見てみましたですよ。
今見ると(つまりは大人になって、と言う意味ですが)これ、思いのほかキャストが弱いような気がしないでもないですなあ。目立つ有名どころとしてはヒロイン役の高田美和くらいでしょうかね。そも大魔神がお山の奥に武人埴輪の形で鎮まっていたところ、ふもとの村を領主として治める大名を謀略で排除した家老が「祟りなぞあるものか」と魔神像を打ち壊そうと企んだことが、怒りの源なわけですね。上のポスターにでも額の上に大きな杭が打ち込まれているのが見て取れるところです。
さらには高田美和演じる謀殺された大名のひとり娘小笹が、危機に晒された兄(つまりは大名本来の世継ぎ)とこれを助けた忠臣を「助けてほしい」と願ったことも関わっているわけで、つまり小笹と魔神には心のうちが通ずるところがあったのであろうとも。一端動き出して、顔付を憤怒の相に変えた魔神は怒りに任せてあわや村を破壊し尽くすかに見えたところ、やはり小笹の「自分が生贄となっても構わないので、どうか怒りを鎮めてほしい」との願いを聞き入れもするのですし。ですので、この物語には「美女と野獣」ではありませんが、そうした対比を見せる要素で出来上がっているとも言えるのですよね。
考えるにこの『大魔神』、実は公開時にはガメラ・シリーズの第2作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と同時上映されたのであるそうな。おそらく両者は制作期間も被っておりましょう、当時の大映として投入可能な俳優陣はガメラ・シリーズに持っていかれてしまったのかも…と、そんな気もしたものです。とまあ、全体として他愛もないストーリーだったりもするわけですが、何故かこの映画、嫌いじゃないのですよねえ。やはり埴輪がモチーフになっているが故でありましょうかね(笑)。