これまであちこちの古墳や博物館を訪ねて数々の「埴輪」を目にしてきましたですが、当初は要するに古墳の副葬品であるかと思ったりもしていたのですな。実際は副葬品、つまり死者とともに埋葬される品物というよりは、古墳に飾られるものとは分かってきたところながら、折を見て一度は改めて「埴輪」の何たるかに触れておこうと思っていた矢先、都合のよさそうな一冊が見つかりましたですよ。角川ソフィア文庫の『埴輪 古代の証言者たち』なる一冊です。

 

 

至ってビギナー向けに写真満載であるのは何とも分かりやすいところでして、やはり埴輪は秦の始皇帝陵に付随する兵馬俑のような、生贄代わりでも副葬品でもないことは示されておりましたなあ。何しろ人物を象った埴輪が登場するのは埴輪の歴史においても後の方にあたる5世紀半ば以降ということですし。本書では年代ごとの埴輪の移り変わりを、こんなふうに区分けておりましたよ。

  • 埴輪のルーツ【2~3世紀】
  • 前方後円墳の出現と円筒埴輪の誕生【3世紀後半】
  • 墳頂部を囲む・亡骸を守る【4世紀以降】
  • 墳頂部に家形埴輪を置き、器材埴輪で囲む【4世紀中頃以降】
  • 古墳の裾に形象埴輪を並べる【4世紀後半から5世紀】
  • 人物埴輪が現れる【5世紀半ば以降】
  • 埴輪の終わり【6世紀末頃】

かつてはこうであったろうという古墳の再現には、ずらりと埴輪が並べられていたりしますですが、年代によって並べる埴輪の種類も配置場所にも変遷があったのですな。ちなみに、埴輪の最初期に関してはかような紹介になっておりました。

埴輪の先祖は、弥生時代後期に岡山県地方(吉備)で作られ始めた特殊壺と特殊器台です。特別に装飾を施した壺を、高い台に載せたまつりの道具で、村や墓の祭祀で用いましたが、やがて王の墓における葬送の用具として発達します。

もっぱら葬送具として出て来た埴輪は、だんだんと何かしらを象った造形になっていきますが、人物埴輪の誕生は前方後円墳の最盛期でもありましょうかね。古墳が巨大化するにつれて「造り出し」といった、埴輪を飾るステージも誕生してくる。そこでは、被葬者がその立場立場で生前に果たしていた役割などが視覚的に判るような、ある種ストーリー性のある埴輪配置が行われていたのだそうでありますよ。ちょうど例として大阪府高槻市の今城塚古墳にも触れられていますので、「こりゃ、出かける前に目を通しておけばよかった…」とは遅まきながら。

 

ところで、本書カバー裏の内容紹介の冒頭には「ぽっかりと空いた目と口、短い手足、あどけない表情。心が癒される可愛らしい造形で、博物館でも大人気の埴輪たち」といった一文がありました。なるほど可愛いというか素朴というか、古代を偲ぶよすがとしても埴輪は打って付けの遺物だと思うところながら、際にも触れた始皇帝陵の兵馬俑は紀元前3世紀頃に造られたもの。そちらが人物像として非常にリアルなことを考えますと、大陸と日本列島とで文化的な進展度合いに大きな違いがあったと思わざるを得ない(ま、このことは本書内でも触れられていることですけれど)。ですが、どういう感覚であるのか、うまく説明はできませんですが、好感度(と言っていいのかどうか…)は断然に埴輪の方に分があると思うのは単に個人的な印象でありましょうか、どうでしょうか。

 

もしかすると、全くもって個人的な思い巡らしによるもしかするとですけれど、昔々の古代からして「へたうま」的なるもの、デフォルメの妙、そして「ゆるキャラ」に和む心性も含めて、このあたりを受容するところが列島に住まった人たちには育まれていたのかも…と言っては、身贔屓に過ぎましょうかね。もちろん、兵馬俑同様にリアルな造形を生み出す力量があったのだとまで言うつもりは毛頭ありませんけれど、もそっと遡った縄文時代、土器の意匠に尋常でないほどの創意工夫を注ぎ込んでいたこともひとつの素地としてはあるように思ってしまったりもするのですが…。

 

とまあ、勝手な想像を巡らすのはほどほどにしておくといたしまして、埴輪の時代変遷や種類ごとに持たされた意味合いなど、この後もあちこちで見ることになるであろう埴輪を理解するのに、本書を読んだことが大きな助けとなるような気がしたものでありますよ。