ということでまた、今城塚古代歴史館から外へ出て(といって、実際には展示をひと巡りしたあとなんですが)、今城塚古墳の実物を見に行くことに。あたりは、歴史館と古墳公園とを含めて「いましろ大王の杜」として市民の憩いの場、散策の場ともなっているようで。

 

とまれ、歴史館脇の小道(古墳と歴史館とを結ぶためにわざわざ作られた通路ですな)を案内に従って進んでいきますと、やおら古墳そのものと祭祀場を模した埴輪の行列が目に飛び込んでくるのでありますよ。

 

 

伏見地震による崩落の後、打ち捨てられていた時期もあったのでしょう。その後に改めて発掘と補修が施されて今の姿になったものと思いますが、差し当たりこのような形で再現されているようですな。

 

 

かつてはしっかりと周濠が巡らされていたところが、今ではその半分以上が芝生広場ということになっています。こうなっているからこそ、墳丘に近づいていけて、登ることもできるわけですけれど、元が濠だった名残でもあるのか、ところどころ踏み込む足が沈むような湿地帯状態でもありましたよ。

 

 

ともあれ、登り口らしき段々が見えましたので、いざ墳丘へ。ですが、芝地がずぶずぶしていることをご近所の方々はご存じなのか、墳丘に登る人はほとんどおらない。まあ、木々に覆われていますから、眺望が得られるわけでもないでしょうからねえ。なにしろ、こんな具合ですのでね。

 

 

そうではあっても、大王墓としてはただ一つ(なのかな?)一般人が墳丘に立ち入れる古墳なだけに、墳丘は登られることが予め想定されているのでしょう、ところどころに解説板が接地してあるのですな。例えば、このように。

 

 

「地震で崩れた墳丘」とあるわりには、この解説があるあたりは「伏見地震によるをまぬがれ、本来の高さをほぼとどめて」いて、発掘調査の結果、「35cmほどの小ぶりの円筒埴輪がまばらに立て並べられて」あったということでありますよ。

 

で、埴輪といえばやはり祭祀のための「張出」部分でありましょう。「家や人物、動物など200点以上の形象埴輪が配置されてい」たそうな。それを、濠の土手上に再現しているわけですけれど、たくさん並ぶとなんとも賑々しいといいましょうか。

 

 

 

 

解説には「大王の死にかかわっておこなわれた儀式の様子を再現」とありましたように、この賑々しさも被葬者が大きな権力を持っていたことの証でもあるのでしょうなあ。と、すっかり話があとさきになってしまいましたですが、現地にあった今城塚古墳の解説板にある説明を振り返っておこうかと。

今城塚古墳は6世紀前半につくられた巨大遠方後円墳です。学術的には継体大王の陵墓といわれ、二重濠をふくむ全長は354m。大王の権威と力を示すモニュメントとして、淀川流域随一の壮大な規模と威容を誇っています。
10年間にわたる発掘調査では、墳丘内部の大規模な石積や排水溝、石室を支えた基盤工、そして200体以上の形象埴輪が並ぶ埴輪祭祀場など、他に類を見ない発見が相次ぎました。また海路を九州熊本から運ばれた馬門石(まかどいし)を含む3種類の巨大な石棺や、金銀で装飾された副葬品などの貴重な出土品がみつかっています。

 

とまあ、かように「威容を誇る」という古墳なわけですけれど、その造営には並々ならぬ苦労があったというあたり、古代歴史館の展示解説を振り返りつつ見ていくことにいたしましょう。