そういえば、江戸橋を目指すのに東京メトロ日本橋駅から地上に出て歩く道すがら、「三菱倉庫江戸橋歴史展示ギャラリー」に到達する少し手前で、やおらこのような胸像に出くわしたのですなあ。

 

 

台座には「郵便発祥の地」とあり、その上には「前島密先生」と刻み込まれておりました。ところは日本橋郵便局の片隅です。なるほど日本郵便の父と言われる前島密、発祥の地に胸像があるのはごもっとも…ですが、1円切手で見慣れたお顔付きとはいささか異なるような気がしないでもない。切手に使われたのは老境であって、この像がモデルにしたのはもそっと若年の時なのかもしれませんですねえ。

 

 

と、書いたところで「もしかして1円切手が前島密の肖像とは昔の話で、今は違っているのかも…」なんつう一抹の不安がよぎったものですから、日本郵便(JP)のHPを参照してみますと、確かに今でも前島1円切手は健在であるようす。なんでも、1円切手の図案に前島密が登場したのは1951年のことだとか。折しも郵便事業開業80年の年だったようですね。

 

以来70年余、7円の金魚も15円の菊も消えて久しい中、達者に生き延びている前島1円切手は、もはや変えようもない存在になっているのでもありましょうかね…と思えば、2021年の4月、(コロナのどさくさに紛れて?)新1円切手が発行されていたのであるとは知りませなんだ。なにやら頑固そうな老人顔とは打って変わって採用された図案は「ぼすくまくん」というゆるキャラ系。1億枚限定ということですが、人気が出ればやがて「老兵は消え去るのみ…」となったりするんですかね。個人的には、「ほすくま」1円切手の実物は見たことありませんが…。

 

とまあ、余談に走ったところを元に戻すことにいたしまして、前島密像を通用口前に置いている日本橋郵便局の正面入口側には、壁面に「郵便発祥の地」と記してプレートが埋め込まれておりましたですよ。

 

ここは、明治四年三月一日(1871年4月20日)わが国に新式郵便制度が発足したとき駅逓司と東京の郵便役所が置かれたところです。

ただ、思い返してみるに以前、横浜を散歩していた折にも郵便関係の発祥にまつわる碑を見かけたような…とブログ内検索をかけてみますと、横浜で見かけたのは「外国郵便創業の局」というプレートでした。やっぱり日本郵便の始まりは日本橋だったようで、それも結局、このあたりが物流拠点であって、郵便もまた物流のひとつなのですものねえ。そういえば、すぐそばに物流倉庫を構えた岩崎彌太郎設立の船会社も「郵便汽船三菱会社」だったわけで。

 

ところでこの日本橋郵便局、ロケーション的になるほどな局名となってはおりますが、開設当初は「四日市郵便局」という名称だったようですなあ。四日市と聞けば三重県しか思い浮かばないところながら、どうやらかつては日本橋から江戸橋にかけて北側を「魚河岸」、南側を「四日市河岸」と呼んでいた江戸期の名残りでもあるようで。明治から大正まで生き延びていた四日市町という地名は関東大震災後の区画整理で消滅し、それに伴って局名も日本橋郵便局に改まったそうでありますよ。

 

その後も地名はどんどんと〇〇(町)〇丁目といった形で整理されていきましたけれど、日本橋の界隈には今でも細かく日本橋何々町というのがたくさん残っておりますですね。日本橋三越、というより越後屋呉服店のあるあたりは広重の風景画などでも駿河町のタイトルになっていたりして、駿河町は消えた地名の方でしょうけれど、今も残る日本橋蛎殻町、日本橋小舟町、日本橋浜町、日本橋茅場町、日本橋本石町などなど、地名の云われを辿ってみるのもまた楽しからずやでありましょうね。