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4月19日の「地図の日 」に続いては4月20日の「郵政記念日」と記念日ばなしが続いて恐縮ですが、
子供の頃にちいとばかり切手集めに入れ込んだ時期があるもので、思い出すことなどもあり…。


そも郵政記念日は明治4年(1871年)3月1日(新暦に直して4月20日)に、
江戸期以来の飛脚に代わる郵便の制度が始まった日ということになりますね。


で、この郵政記念日を含む1週間を「切手趣味週間」と称して、毎年記念切手が発行されたりもする。

切手集めを始めた当時、記念切手が投機的に取り引きされるような状況が

出始めていたのではなかろうかと。

レアものの切手はどんどん値上がりするてなことがあり、

中でも「切手趣味週間」のシリーズでは1948年に発行された菱川師宣の「見返り美人」と

その翌1949年の歌川広重 「月に雁」を図案にしたものが
それぞれ未使用の1枚で1万円くらいしたのではないですかね。


発行枚数が少ないからてなことでもあるようですが、子供には目の玉の飛び出るような金額。
もっとも「切手趣味週間」の図柄は基本的に日本画の名品から持ってきていましたので、
子供としては興味なし…でしたけれど。


それでも集めている頃に発行された「切手趣味週間」シリーズの切手には
鏑木清方の「築地明石町」や伊東深水 の「指」などがあって、それを見ていたことが
その後何十年も経って日本画を愛でることになる素地になったのかも知らん…とは

後から思うことですが。


とまれ、子供としてはお小遣いをやりくりしては

新しい記念切手が発行されるのを楽しみに、1枚、2枚と郵便局で買ったりしていたわけですが、

やはり記念切手の値上がりを待って売ろうという輩が横行してきたせいなのか、

発行ごとに大量にシートのまま買い付けていく人が出て、郵便局の方も
シートを切り離して1枚、2枚では売ってくれなくなってしまったのですね。


記念切手1枚の額面が50円でも買うのに勇気がいるような小遣い状態でありましたのに、
それを例えば50円×20枚で1000円になるシート買いなどできようはずがない。

まあ、少し成長するごとに興味の幅も広くなると同時に、
切手集めにお金ばかり掛かってばかばかしくもなり結局のところ止めてしまいましたですよ。


決してさほどに長い期間ではありませんでしたので、
堂々と切手収集を趣味にしていましたなどと言えるものではないにせよ、
その残骸は今でも書棚のストックブックに残っていたりする。
とんでもなく久しぶりに開いてみたですよ。


という個人的思い出はこれくらいにしまして、
日本の郵便制度といえばすぐさま名前の挙がるのが前島密でありますね。


先日、通勤電車内のモニターに映し出されていたクイズに
「動植物の図柄が多い普通切手でひとつだけ人物が描かれていますが、誰でしょう」
といったものがありましたけれど、即座に「1円切手の前島密」と浮かんだのは
昔取った杵柄というやつでしょうか。


ともかく、その前島密ですが「日本郵便の父」として有名ではあるものの、
実は関わったのはそれだけではないと知ったのは比較的最近のことなのですなあ。
確か国立公文書館 での展示を見たときだったかもしれません(と、既にうろ覚え)。


何でも戊辰戦争の大勢が決し、明治の世となるにあたって
「さて、首都はいずこに?」という議論があったそうなのですね。


何しろ江戸幕府を全否定してかかって天皇中心に進めるわけですから、
首都は京都とするのでも良かったのかもしれませんですが、
大久保利通は大坂(大阪)への遷都を建言したのだとか。


大久保としては、新生明治日本としては天皇をいただくとしても
旧態依然とした公家たちに囲まれた京の奥まったところに天皇を隠しておくべきではないと
考えていたようで、必ずしも大阪こそが首都に相応しいということでもなかったような。


それだけに前島密が首都に求められる機能を挙げて江戸遷都の建言をしますと、
結果的にはこれに賛同、東京と呼び名の改められた江戸に首都がおかれることになったと。


さすれば、もし前島密の建言なかりせば日本の首都は大阪だったのかもしれません。
日本郵政のHPにはこのほかにも前島密の功績の数々が紹介されていますので、
「ほお~」とご覧になってみるのも一興ではなかろうかと。

何しろ「郵政記念日」ですしね。


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