先に2022年の演奏会聴き納めでトッパンホールに出かけた折、またまた印刷博物館併設の(無料施設である)P&Pギャラリーを覗いたのでありまして。何せ、ホールの同じ建物内どころか、すぐお隣だものですし。先月に立ち寄ったときの展示(「現代日本のパッケージ2022」)はすでに会期終了となって、現在は「世界のブックデザイン 2021-22」展に移り変わっておりましたのでね。

 

 

展示の中心は「世界で最も美しい本2022 コンクール」の受賞作品と、その予選ともいうべき各国開催分の受賞作多数でして、世界コンクールはドイツのライプツィヒで開催されるとは、さすがに古くから出版で知られるライプツィヒでありますなあ。ともあれ、美しい本のコンクールと聞いてはとにもかくにも装丁の妙を競うものであるかと思ったのでして、確かにその側面は否めないものの、どうやら一概にそうとばかりも言えないようで。

 

なんとなれば、受賞作として並ぶ書籍の中には一見したところではなんということのない見てくれのものがいくつもあるのですな。では、そんな何の変哲もなさそうな本の受賞理由はと言いますれば、「活字組みが見事!」てなところもあったりするという。日本国内開催のコンクールで、そうした面での評価ってどうなんでしょうか。あるんでしょうかねえ。

 

日本で開催されているのは「造本装幀コンクール」というもので、公式HPに「国内・海外に向けて 造本技術・装幀デザインの素晴らしさを紹介し…」とあることからも、やはり外みの点に主眼が置かれてもいるような。見た目に新規さも工夫も感じられないものの、開いてみたら驚くような活字組みが展開していた…なんつうあたり、考え方としてそれはもはや装丁領域ではなくして作品そのものの一部と言う気もしてきたりするわけですね。

 

本の内容としては、図版や数式などなどが入り込むことはあるにせよ、基本的には文章で綴られるものでしょうけれど、その文章こそが作品で、書籍としてどんなふうに収まるかはもはや作品外であると考えることもできますし、文章の見せ方もまた作品の意図を反映させるに十分な材料であって、不可分であるというような作品も実はあろうかと思い巡らすところです。取り分け、詩歌のような世界ではありそうな話ではないでしょうか。

 

ですので、本の中にまで目を向けだすと作品そのものを評価することにもつながりかねない…となれば、割り切って外見に特化した評価をしておく方が無難とも言えてしまうような。なんとも悩ましいところではありあすね。

 

ですが、この「美しい本」の捉え方ですけれど、なかなかに難しいところがあるような。昔むかしの本(つまりは印刷術の普及以前)はおよそ全てが一点ものであって貴重な品であったわけですね。その中には「知」が封じ込められてもいるとして、貴重性が増すことから、それ相応に立派な、美しい装丁を施すことも出てくるわけで、そのことがなおさらに貴重さ、稀少性を高めることになったでありましょう。

 

それが活版印刷の普及以降、だんだんと本は量産されるもの、こう言ってはなんですが有難みの薄いものになってしまったのではなかろうかと。今や、本の内容が伝わるという意味では印刷の形さえ必要とされなくなってきたご時勢ですので、もはや本というモノの価値はなへんにありや…てなことにも。それが反って、あえて「美しい本」に仕立てることで稀少性を取り戻すことに繋がっていたりもするかもしれませんですね。

 

例として引き合いに出すのが適当かどうかですけれど、フライヤーのいちばん右下に配されているのは「ドラえもん」のコミックス全集なのでありますよ。「ドラえもん」連載開始50周年記念出版企画の決定版として小学館が2020年に出した豪華愛蔵版全45巻セットでして、「ハードカバー・かがり綴じで読みやすく丈夫。名久井直子氏装丁による表紙は布クロスにシルク印刷+箔押し。本体上部は「天金」仕様」(小学館HPより)という、オリジナル「てんとう虫コミックス」版とは次元の異なる立派な装丁になっているのですな。あれこれおまけが付いていることも含め(といって、それ含みの評価とは思いませんが)、この「美しい本」コンクール受賞作品展に本作が並ぶ理由として、「コレクション・アイテム」たる代表例であることが挙げられていたのでありますよ。

 

そも「世界で最も美しい本 コンクール」と言っておりますけれど、ドイツ語では「Buchkunst」(Book Artの意)という言葉が使われて、要するに本の芸術とということになりますですね。で、芸術と考えた場合、(いろいろな意見はありましょうが)「芸術」=「美しい」とは言い切れないところでもあるわけです。美しいどころか、おどろおどろしいものも芸術にはありますし、商業主義と結びつく芸術のありようもまた(この際、良し悪しはともかくです)。そうなってきますと、「本」として生み出されたものがどれほどに魅力的かどうかはどれだけ人に欲しいと思わせられるかどうか、ひいてはどれだけ売れるかどうかにもかかってくるような。そう考えたときの典型がこの「ドラえもん」である、ということなのかもしれません。

 

覗きに入ったときには思ってもみなかったことはありますけれど、昨今の「本」のありようをあれこれ考えてしまうところなったものなのでありました。本には間違いなく商品としての側面がありますから、売れないことには成り立たない。そこいらへんに対して、基本的にもはや本を買わなくなった者(理由としては単純に家の中で収拾がつかなくなるからですが)がとやかく言えたものではないながら、「う~む」と考えてしまったわけでして…。