先日、北斎やら国芳やら浮世絵師が登場人物となっている芝居『夏の盛りの蟬のように』を見て、「ああ、そうえいば…」と思い出したのが、先に「“歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”」の幕間、休憩時間にちらりと覗いた国立劇場伝統芸能情報館の展示でありまして。ただ今のところ開催中であったのは、『上方浮世絵展』というものでありました。

 

 

考えてみますと、北斎、国芳、さらには広重などなど、浮世絵師と聞いて思い浮かべるのは皆、江戸の絵師であるような。ただただ、個人的に視野が狭いだけかもとも考えたですが、解説にはこのように。

上方(大阪・京都)では江戸より遅れること約1世紀、18世紀末から独自の浮世絵が継続的に制作されるようになっていきました。その歴史は江戸に比べて短く、出された総数も多くはありません。

まあ、そういうことなれば致し方無しでしょうかねえ。ですが、ここで「独自の浮世絵」という点が肝心なところでもありましょう。日本国内でも各地各所でもって、趣味嗜好の異なりがありますから、上方には上方の絵師がいて好みに応じた描かれようがあっても当然でしょうし。

 

と、ここでまた余談にはなりますけれど、各地各所での好みの違いというのは浮世絵という視覚的なところばかりでなくして、味覚なども顕著な例であるなあと。関東のかつお出汁、関西のこんぶ出汁てなあたりは言うに及ばず、しばらく前に見た「発酵とくらし」展@ギャラリーA4で紹介されていた味噌や醤油の地域性なども同じことなのでしょう。味覚地図でいいますと、関東、関西以上に際立って異彩を放っているのは中京圏でしょうか。豆味噌や溜醤油の独自性は全国区とは異なる味わいを醸しているものと思うところです。

 

そういえば(と、余談の余談ですが)豆味噌の代表である八丁味噌に関する問題を先日新聞で見かけましたなあ。そも徳川家康の居城であった岡崎城から八丁ほど離れたところで作られていたからその名が残るだけに、岡崎が発祥と思しき「八丁味噌」。ですが、このブランドとなった商品名の使用を巡った争いが生じているということで。単に豆味噌であるからといって「八丁味噌」を名乗るなどとんでもない!とする発祥地・岡崎。かといって、地域性あるブランド名を安易に他地域で使われたくない愛知県内の味噌業者。両者が対立して、あろうことか、今の流れで行くと岡崎の業者が「八丁味噌」を使えなくなりそうではあるとは、事の行方やいかに…ではなかろうかと。

 

いささか余談に過ぎるもほどがある域に入り込んでしまいましたですが、ともあれ、各地各所の好みの違いはあるもので、浮世絵に話を戻すとこんなふうになるようで。

歌舞伎役者を描いた「役者絵」、女性を描いた「美人画」、名所を描いた「風景画」など、様々な分野の浮世絵が出されていた江戸とは違い、役者絵の比率が圧倒的に多いのも上方の特徴の一つでした。

そして、役者絵の比率が高いという中で、その描きようにも違いがあるということなのですなあ。上のフライヤーに描かれたあたりをちらり見るだけでは判然としませんですが、どうやら同じ役者を描いて、「美化する江戸」VS.「リアルな上方」ともなるようでありますよ。

 

ともあれ、単純に考えればことさら役者絵需要が多いほどに歌舞伎人気、芝居人気が上方では圧倒的だったとも言えましょうか。だいたい、浮世絵師で思い浮かぶのは江戸の絵師ばかりと申しましたけれど、狂言作者はといえば上方の方が多く浮かんでくるような。

 

でもって、そんな芝居好きであればこそ、役者は単に(美化した)姿かたちで描き出すのでなしに、芝居の中の一場面に役柄含みで描かれるところが好まれたのかも(これを即座にリアルというかどうかは別ですが…)。ま、そんな描き方の違いの中には(江戸より遅れて出て来ただけに)お江戸の流行り物とは違うところを出したいという上方の対抗意識があったりもしたのであるかと思ったものでありましたよ。