これは今回でなくして前回、10月に小淵沢のアパートから清里に向かい、駅から千ヶ滝への道々の往復で拾ってきた山栗でありまして。近所のスーパーなどで売っている食用の栗は、実にたっぷりとした実になっているわけですが、こちらはかなり小ぶりの印象。野生のものらしさに溢れておりますな。
で、拾ってきた山栗をぐつぐつぐつとゆでることしばし。食べられるものかいね…と、都会者としてはちらりよぎりましたが、案ずるより産むがやすし。本当の、と言っては大げさですが、いかにも栗らしい味で「おお!」と思ったものなのでありますよ。
しばらく前のTBS『世界遺産』(先月初めの2週連続でした)で「北海道・北東北の縄文遺跡群」が取り上げられた際、栗の木の話が出ておりましたなあ。縄文の人たちにとって栗の木は大層役に立つものであったようで。青森県の三内丸山遺跡には巨大な復元建物がありますけれど、これを支えたふっとい柱は栗の木であったことが発掘から分かっていて、建材として有効活用する一方、イガイガの中に詰まった実の方は食用になるというわけで。
そんな使いでのある栗の木は元々は北海道には自生していなかったそうですが、彼の地の縄文遺跡でもやはり栗の木は使われたのであると。なんとなれば、縄文人が本州から持っていって植え、いわば栽培していたようで。野生の栗を食しつつ、そんなことを思い返していましたけれど、山梨県立美術館では「縄文―JOMON―展」なる特別展を開催中ながら会期終了目前ということでしたので、小淵沢への行きしなに立ち寄ったのでありました。
ところでこの「縄文展」、開催場所が博物館ではなくして美術館なのですなあ。「縄文文化の美術的価値を改めて知る機会」を意図した展覧会のようでして、要するに縄文時代の土器や土偶を「アート」として見てみようということでありますよ。
ですので展示のありようも、壁際に並んだガラスケースを前方からのみ眺めるといった、いかにも博物館然とした形ではありませんで、一点一点をぐるりと回って眺められるようになっている、いわば彫刻作品でもあろうかと展示形態なのでありました。しかも細かな解説はともかくじっくり「見る」ことに主眼が置かれているようで、ひとつひとつの土器に関する解説は特に無し。どうぞご自由に見てくださいというあたりも、美術館ならではでしょうかね。
もっともかような形ではない博物館の展示で見たときにも、縄文土器の造形性の豊かさと言いましょうか、衣食住にも(今から比べれば格段に)厳しい環境にあったであろうときにあれほどの(ともすると実用性を犠牲にするのを顧みない?)形や文様をよく生み出したものだと思ってはおりましたよ。例えば、山梨あたりに特有の「水煙文土器」などは、その最たるものでもあろうかと。
これは北杜市の遺跡から出土した縄文時代中期後葉のものということですけれど、湧水に恵まれた地域に居住した縄文人が湧き出す水の水煙を何かしらに感謝を捧げるべく、せっせと作り上げたのでもありましょうか。想像は膨らむばかりです。
こちらは形としてはそっけないものの、施された文様がまた渦巻文とは、やはり水との関わりは大きいと言わざるを得ない。土器の全周に描き込まれた文様を小川忠博という写真家の方が特殊な撮影方法で平面に展開したものを見ますと、何ともその執拗度合に「ほう!」とため息を付きたくなるほどの手間なのですなあ(おそらくは写真家さんも手間がかかったことでしょう)。
こうした水煙文や渦巻文の施された土器は今からおよそ4000年余り前のものですけれど、それより以前、さらに1000年余りを遡った縄文前期には、まさに縄文という名付けにふさわしい縄目模様が見られます。それもまたそれなりに凝っているのですよね。例えば、このような。
最初は単純な文様であったものがだんだんと複雑化、あるいは見た目にそれと分かる形象化をたどったものと思いますけれど、そんな中には動物を模していたり、はたまた人であろう姿を象っていたり。これも縄文土器なのですなあ。
ただし、なかなか写実的にとはいかないでしょうから、ともすると(遮光器土偶ではありませんが)宇宙人?てなふうに見えてしまったり(笑)。こちらは先ほど触れた写真家の方が撮ったものになりますけれど、一見して「(『天空の城ラピュタ』に出てくる)ロボット兵か?!」とも。
作者の宮崎駿は(山梨ではありませんが、北杜市お隣)長野県の富士見町とゆかりがあるのでして、そこにはやはり縄文時代の井戸尻遺跡がある…てなことになりますと、何やら縄文インスピレーションがあったろうかとも。とまれ、縄文人も食したであろう山栗の味を思い出しながら、またしても縄文人の豊かな意匠に触れる展覧会でありましたよ。