16世紀の半ば、琉球王国は独自の外交政策と中継貿易とによって一定の地保を固めておったのですなあ。時に周辺海域では倭寇(といってもはや日本の海賊とはいえないようですが)が跋扈しており、これへの防衛上、那覇の港に当時の最新兵器である大砲を備えようとするわけです。今でも那覇港を挟んで屋良座森城(やらざもりぐすく)、三重城(みえぐすく)の跡地が残されているそうでありますよ。

 

されど、据え付ける大砲をどのように入手したのであるか。元々、西洋世界、当時の東方世界としてはもっぱらポルトガルからもたらされたものを、おいそれと明国が分け与えてくれるとも思われず(明は明で倭寇対策にやっきですし)、それではとばかり、ポルトガル統治領となっていたマレー半島のマラッカへ使いを出して、彼の国と直接交渉に及ぼうとした…のが本当かどうかは分かりませんけれど、小説『エクアドール』は琉球からマラッカへ航海し、波乱に巻き込まれる使者たちの物語なのでありました。

 

 

西洋の人たちにとっては、日本がマルコ・ポーロの『東方見聞録』によって伝えられたのと同じように、琉球はポルトガル人旅行家のトメ・ピレスが遺した『東方諸国記』で知られるところとなったようで。ジョン・マンデヴィルの『東方旅行記』ほどに信憑性の無いものではないでしょうけれど、ピレスの記載はこんなふうであるそうな。

我々がミラノについて語るように、明国人や他の国の人々も琉球人について語る。琉球人はとても正直な人々で、奴隷を買わず、全世界と引き換えでも同胞を売らない。彼らはそのためなら命を懸けるであろう。

温暖な気候が温和な性格を生んだのでもありましょうか、周辺の国の人々が口をそろえて、琉球の人々を称揚する。本書の帯に記されている言葉も、このピレスの紹介が元になっていて、物語もまたそうしたことを反映しておりましたなあ。しばらく前に見たTVドラマの『テンペスト』でも、琉球はいかに争わないかを伝えておりましたし。

 

とまれ、物語はそんな琉球王国のようすともども、16世紀半ばにおける東南アジアのようすを知るよすがともなりますですね。マラッカといえば、その後のオランダ統治ばかりが知るところでしたけれど、それ以前、マカオ進出前のポルトガルが東方の最前線として確保していた場所だったのですなあ。

 

もとは独自にマレー系民族のマラッカ王国があったところをポルトガルが追い出して、亡命政権が半島南端に展開してジョホール王国を作り、長年にわたって小競り合いを繰り返すことに。そんなところへ、対岸のスマトラ島に誕生したアチェ王国が加わって、マラッカ海峡という海路の要衝をめぐる争いが続いていた…といったあたり、どうも世界史お授業も欧米偏重ですので、あまり知るところとはなっていなかったわけです。

 

琉球からの使者たちがマラッカを訪ねたのはそんな三つ巴の状況下ですので、奇しくも琉球人の到来を待っていたように争いが始まって、彼らも渦中の人となってしまいますが、結末を言わずとも先にも触れた本書の帯にある言葉を彷彿される最後へと向かっていく。もっとも、種々の権謀術数が渦巻く中ではありますが。

 

話として、さまざまな出自の登場人物たちを配して、琉球人の特質としてピレスが書いた同胞意識の下、ともすると出来すぎかというほどに丸く収まっていくわけですけれど、ともすれば絵空事であるかのような琉球人の特質、また専守防衛に努めようというところも含めて、単に絵空事としてしまうかどうかは、それこそ人にかかっているのであろうなあと。琉球転じて沖縄の歴史には見習うところがあるようには思ったものでありますよ。

 

そうそう、ちなみに本書タイトルの「エクアドール」は「赤道」のことですな。南米にエクアドルという国がありますけれど、赤道直下にあるからこその国名でして、赤道を挟んで北側と南側とでは流しに水を流したときに渦の巻き方が逆回転になることが知られてますなあ。全くの余談ですが(笑)。