マカオには2度行ったことがありますけれど、
街角で見かける地名の案内板は確かにこんなふうでもあったような。
てかてかつるつるした様子からホーロー引きかとも思ってしまうところながら、
さすがはポルトガルと深い所縁のあるマカオだけに「アズレージョ」なのであったとは。
要するにタイル
のことでありますね。
と、やおらマカオの話になるのは唐突ながら、
LIXILギャラリー
で開催中の「マカオのアズレージョ」展を覗いてみたものですから。
マカオとポルトガルの繋がりは…とは今さらながら取っ掛かりだけ整理しておきますと、
1513年にポルトガル人として最初の中国上陸があり、マカオ寄航の目的は、
中国や日本との交易が目的であったとのこと。
少しずつ地歩を築いた結果でしょうか、1557年には中国との交渉の結果として
ポルトガル人の定住(借地料は掛かる)が認められ、その状態が長く続きますけれど、
フランシスコ・ザビエルが日本に向かうのもマカオからですし、
鎖国前は長崎向けの南蛮
貿易の拠点でもあったわけですから、
日本との関係でも、歴史上重要な地点ではありましょう。
そして、1887年にポルトガルは統治権を獲得、ポルトガル領マカオとなって…となるわけですね。
始めの一歩的なところから見ると、マカオには実に500年もの、ポルトガルとの関わりが
あるのですなあ。
てなことですから、マカオにも当然のように「アズレージョ」が持ち込まれ、
道路標識ばかりか、建物のあちらこちらに使われているわけでありますね。
何やら中国風の雰囲気も併せ持った使われようがあるのも、
マカオらしいところと言えましょうか。
ところで「アズレージョ」という言葉は「ラピスラズリ」や「コートダジュール」と同様に
「アズール」という部分を含むだけに「青」をイメージするところですが、
ポルトガルでは青ばかりでなく多彩色のタイルも一括して「アズレージョ」というのだそうですね。
まさに色合いさまざまであるわけですが、印象として青色単彩から
多彩色へと変化した(だから、アズレージョと名がついた)と思っていましたら、
どうやら順序は逆であるのだそうな。その辺りを解説から引用してみるとしましょう。
起源は、イスラームで発達した錫釉の技法のタイルで、赤みのあるタイルの本体の表面に錫を混ぜた釉を掛けて白く化粧した上に青や、黄、緑、茶など色釉で絵付けしたものです。11世紀初頭にスペイン南部で作られ始め、13世紀に本格的に生産が始まります。ポルトガルでは15世紀後半に…多彩色のタイルが輸入され、王宮や宮殿が装飾されました。…ポルトガルでは16世紀後半にリスボンで本格的な…制作が始まり…、17世紀後半からは中国の染付磁器の影響を受けた白地に青色単彩のタイルが多く作られるようになり…。
実は先に多彩色があり、青色単彩は中国の染付磁器の影響だったのですなあ。
東西文化の融合したものがさらに交じり合って、マカオの地にあると言えそうです。
で、「アズレージョ」と同時に本展で紹介されているのが「カルサーダス」というもの。
ポルトガル語で「石畳」の意であるようですが、マカオに導入されたのは比較的新しく
1992年以降であるといいます。
面白いなと思いましたのは「カルサーダス」導入の利点として挙げられていたこと。
見た目の楽しさ、美しさといったことのほかに、自動車やバイクの規制効果が
最大のポイントだというのですね。
石畳道は表面がでこぼこしてますから、
そりゃあ車輪のあるものでは通り難かろうと思うところですが、
「カルサーダス」に使用される石灰質の石は、人通りがあるほどに磨り減って表面がツルツルに。
それが「自動車やバイクでは滑りがち」になるという効果を生み、
自ずと乗り入れ規制に繋がるのだとか。
必ずしも乗り入れが禁止されていないところに、
日本でそのような道路を作ったら大騒ぎになるでしょうなあ。
35年後には中国へ完全返還されることになっているというマカオ。
歴史の波に翻弄された感もあり、ひところは中国への帰属意識からなのか、
ポルトガル文化の名残りを軽視する傾向もあったやに聞きますけれど、
「現在の政府は、ポルトガル文化の象徴としてアズレージョを重視している傾向に」あるようで、
20世紀末になって「カルサーダス」が導入され始めたのも同様な流れかと。
融合文化が作り出すマカオの町の独特の景観は、
今後ますます町並みそのものを観光資源としていくかもしれませんですね。


