かつてNHKのBS時代劇として放送されたドラマ「テンペスト」。

これまでも、またいまでもBS放送とは無縁だものですから、ようやっとこのほど一気にまとめ見に及んだのでありましたよ。

 

 

時代劇と言えば、ちょんまげ、二本差し、切腹などなどが思い浮かぶところではありますが、

このドラマは違うのですな。何しろ沖縄、江戸時代にあっては琉球王国が舞台なのであすから。

歴史に絡んだフィクション仕立てが時代劇(歴史劇でなく?)とすれば、時代劇の看板に偽りはないのですけれど。

 

とまれ、見ていて思うところは沖縄のこと、琉球王国のこと、いやはや知らないことだらけでしたなあ。

話としては、男性しか王国の官吏に慣れない時代、性別を偽り宦官として登用試験に合格し、

政治・外交に手腕を発揮する孫寧温(仲間由紀恵)が主人公、以前読んだ『女教皇ヨハンナ』のことを

ちいとばかり思い出しましたですよ。

 

もちろんフィクションですから、日本を目指す途上のペリー艦隊が沖縄に立ち寄ってあれこれ迫るも、

寧温の活躍で事なきを得る…てなこともなかったのでしょうけれど、そもペリー艦隊って沖縄に寄っていたのかと。

かようなことも知らなかったものですから、これを機会と今さらながらの沖縄史探究を少々。

といいましても、手に取ったのが『これならわかる沖縄の歴史Q&A』というものであっては、

ちと易きに流れ過ぎかもしれませんですが…。

 

 

ではありますが、読んでみてなおのこと知らなかったなあということにばかり行きあたりましたですよ。

以前何かしらで日本語と沖縄の言葉はイタリア語とスペイン語の関係より遠いてなことを読んで、

「違う」という点ばかりを気に留めておりましたですが、実は日本語の古い部分が沖縄の言葉には残っている、

そういうことだったのですなあ。

 

あたかもドイツ語とオランダ語のごとしでしょうか。言葉が拡散伝播する中で発信源から遠いところにほど、

古いまま残される言葉、あるいは音があるという具合ですね。例えばドイツで「D」の音が「T」の音に変化をしていき、

「drinken」(飲む)が「trinken」に変わるもオランダでは「drinken」のままであるといったような。

 

そう考えると、一般に日本語は「aiueo」の5音がベースになっているのに対して、

沖縄の言葉は「aiu」の3音(敢えて言えば「aiuiu」かも)がベースになっているのであるとか。

古来沖縄に伝わる祭祀の場所として「うたき」というものがありますけれど、これを漢字で書けば「御嶽」となって、

その音が「うたき」であるとは3音ベースで考えると、なるほどなあと思ったりするところです。

 

同様に沖縄の人たちが地元の人を「うちな-んちゅ」と言ったりしますが、

この「うちなー」も3音ベースで考えれば、「そうか、沖縄のことなのだ…」と。

外に対する内のことだとばかり思っておりましたけれど。

 

と、言葉の話はともかくも、歴史的に琉球は長らく独立国であった…という部分は知ってはいても、

コスタリカではありませんが、非武装中立国として存続していたのであったとは。

中国王朝の冊封を受けつつ、日本(薩摩藩経由徳川幕府)との付き合いもあるのは

地理的な要衝である利を生かしつつ、絶妙なバランスを保ってできることだったのではなかろうかと思うところです。

 

それが明治維新以降は日本に統合され、それが故に太平洋戦争後は長くアメリカに占領されることにもなってしまうことは

よく知られたところですけれど、占領下のアメリカでの状況はなかなかに苦難の道のりであったようですね。

いわゆる本土では戦後復興にあたり、あたかもアメリカを夢の国のように考えて、ともするとアメリカである沖縄もまた

それに準じたものであるかくらいに想像していたのはなんとも浅はかな次第なのでありました。

 

アメリカの占領以前、明治以降の日本が沖縄をどう扱ってきたかを考えると、どっちもどっち的ではありますが、

そうであったも、沖縄自体が本土復帰を望んだところがあり、結果として日本への返還が実現したとは、

苦肉の策以外のなにものでもなかったような気がします。

 

ともあれ、1972年に沖縄はアメリカの占領から脱するわけですが、今でも基地問題が解決してはいない。

そして、これは以前読んだ『日本の食文化史』からの(長い)引用になりますけれど、

占領が残していった影響はこんなところにもあったのだと思い出しましたですよ。

1985年までは、沖縄は男女ともに日本一の長寿県であった。しかし、2010年には沖縄の男性の平均寿命は全国の30位に、女性は3位に転落した。それは、沖縄が長い間アメリカの占領下におかれ、食生活が洋風化した影響によると説明される。占領下の食糧難時代に、挽肉の缶詰である「ランチョンミート」が米軍経由で豚肉の代用品として普及し、さらにハンバーガーやフライドチキンなどのファストフード店が、アメリカ統治下の沖縄では本土にさきがけて普及した。
このように、はやくから食生活の洋風化が進行し、沖縄の伝統的食生活が衰退した。ステーキやハンバーグを好むようになり、動物性脂肪と食塩の摂取量が増大、野菜の摂取量が激減したのである。 そこで、第二次大戦後に育った世代にいは肥満者がおおく、生活習慣病による死亡率がたかくなった。そして社会的活動にともなう外食がおおい男性から、平均寿命が短くなったのである。このような沖縄でおこったことは、日本全体の将来を先取りしているものである。

さまざまな利害が絡んで一朝一夕には行かないものの、沖縄の人たちの気持ちのどこかしらには

自分の国としての自立があるのではないでしょうかね。おそらく日本の政府は認めないとなりましょうが、

認めないと言う一刀両断の対応でなく、沖縄が日本の中で一緒に歩んでいきたいと思えるありようを探し、

提示していかないといけんのでしょうなあ。そんなことを考えたものなのでありました。