とあるイベントでドキュメンタリー映画の上映があったものですから、見てきたのでありますよ。

タイトルは「コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方」というものです。


映画「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」


副題にある「積極的平和国家のつくり方」という言葉を見ますと、

どこかの島国国家の為政者が「積極的平和主義」なんつうふうに使って

積極的に武張ることで平和になるんだ的な意味と受け止めてしまうところながら、

ノルウェーの平和学者ガルトゥングが1958年に唱えた「積極的平和」は

全く意味合いが異なるようですな。


ある国で戦争・紛争の無い状態があり、それを平和と呼んだとして、

ガルトゥングに言わせればその均衡状態に比べてより積極的な平和もあれば、

場合によってはより消極的な平和もあるということであったようで。


でもって、より積極的な平和とは戦争・紛争が無いという状態の中にあって、

さらにそれに加えて貧困が無い、格差や差別が無いといった、

そこに住まう人にとっての幸福感といいますかね、それが大きければ大きいほど

より積極的な平和である(もちろんその逆方向が消極的平和ですね)というわけです。


そんな積極的平和の国のありようとしてコスタリカが例示されているのですけれど、

中米の小国というだけで貧しいかのような先入観を抱いてしまいそうになるものの

どうやらさにあらず。


何しろ1949年に常備軍廃止を規定した憲法を作り、以来これを守り通している。

不要になった軍事予算が教育や社会福祉に回せるところから、

公教育は大学まで無料、国民皆保険制度もある。

さまざまな統計による幸福度調査のようなものでは常に上位にランクされているとか。


公教育が誰にも行きわたるということは識字率が高いというにとどまらず、

民度の高まりにも通じて社会が安定することにもなるのですな。


さらに軍隊を持たないことに対して時には揺らぎが生じるも

政治を行う側も国民の側も常備軍廃止の維持を掲げてきた中では

基本的にものごとの解決には交渉、話し合いでいう姿勢が

国民にも自ずと根付いているのだということなのですね。


小国であるだけに米国の圧力にさらされることしばし。

そうしたときにも大統領はこれに屈することなく、

欧州・アジア、世界の国々に働きかけてが別の対策を探りだすという努力をしてきたとは

自分たちが守っていこうとしているものが何であるか、実に腹が据わっているなあと。


国のサイズなどから言って、どこでもが

「コスタリカ・モデル」をそのまま真似られはしないでしょうけれど、

だからといって違いばかりを強調してコスタリカに学ぶことをしないとすれば

ガルトゥングの言う「積極的平和」の方向性を端から捨ててかかっているやにも

思われなくものない。


政治家がどうのこうのと言いたくなるところではありますが、

嘆かわしい政治家が出てくるのも実は民度の低さ故なのかもと思うとき、

やはり意識されるべきはひとりひとりの民度になってくるのでしょうなあ。

トルストイ が言ったように、やはり歴史は個人の意志の総和であると

こんなあたりからも言えるのかもしれませんですね。