山梨の県立博物館県立美術館には何度も立ち寄ったことがある中で、ちと放置状態になっていた県立考古博物館、ようやっと覗くことができました。と、言いますのも6年ほど前に一度、この博物館が隣接する曽根丘陵公園、甲斐風土記の丘とも呼ばれるところには寄っていたものですから。その際には、富士五湖周遊という便乗ドライブの途中でしたので、公園内にある古墳群を眺めるのみに留まって博物館には入らず仕舞い。だからこその「ようやっと」感をひしひしと感じていたような次第でありまして。

 

ともあれ、こちらの博物館ではら春季企画展として「心を描く縄文人─人面・土偶装飾付土器の世界─」が開催されていたのでありますよ(会期はすでに6月12日で終了。書くのが遅くなってしまい…)。「人面装飾付土器は、土器に人面を装飾したものの総称で、縄文時代中期ごろ盛んに作られ、山梨県域や長野県域を中心に多くの優品が現在に遺されています」と説明がありますとおり、結構この土地で特色あるものですのでねえ。

 

 

で、早速に企画展の展示室に向かったわけですが、結構こぢんまりとしたスペースではありましたですねえ。「残念ながら実物を展示できないものの、学芸員いち推しの逸品」が写真パネルで展示されていたりもして…。

 

 

土偶がいわゆるヒト型をしていることは知られるも、人面(あるいは土偶)装飾付土器と言いますのは、土器そのものを人体に見立てているところが独特でありますね。土器の器部分の本体が胴体と目されるわけですけれど、おそらくは女性像として豊穣が意図されているのでありましょう。器としての土器には穀類などの収穫物が入れられたりして、先に触れた『八ヶ岳縄文世界再現』なる一冊を読んだときに思い至ることになった「死と再生」の感覚がここにも関わっていることが窺えるのでありますよね。

 

 

そのあたり、最も端的に形に表れているのがこちらの「出産文土器」でありましょうか。真ん中には、今まさに生まれでんとしている子供の顔が覗いておりまして、その下には二本の脚らしき線刻が見えますので、どうしたってそういうイメージでとらえられようかというものです。さりながら、(言われてみればでもありますけれど)その描きようは決して一様ではないようで、出所の異なる土器を並べてみると出産の過程が見て取れるようにもなるというのですなあ。

 

 

いちばん左側が出産前ということらしく、土器の本体からしてとりわけ丸々としていておりますね。次いでほんの少しだけ「頭が出てきた」ところ、平面的に「顔が見えた」ところ、そして突出して「顔が出てきた」ところという経過を見ることができるという。まあ、並べてみればですのでいささか出来すぎのようにも思いますが、ともあれ出産もまた豊穣、繁栄に繋がるという意識があったとは理解できるように思うわけですね。

 

一方、土偶は破壊された形で出土することが知られていて、これまた破壊=死が再生につながる考え方を想像されるわけですが、人面装飾の付いたものもとりわけその顔面部分が破壊されていたようすが出土品から見て取れるようで。

 

 

この顔面破壊に関しては、展示解説にこんな紹介がありましたですよ。

これら(破壊されること)は、「女神殺し」を主題とする穀物起源神話であるハイヌウェレ型神話との類似が強調されてきました。土器に置き換えて考えると、女神の体内で生み出された食物を分け合う様な儀礼で用いられた可能性が考えられています。

「ハイヌウェレ型神話」というのは元はインドネシアに伝わる話で、女神殺しが結果として食物の豊穣につながるという類例が世界各地にあるものであるとか。日本でも『古事記』にみられる大気都比売神(オオゲツヒメ)の話などがこれに類するもののようですけれど、『古事記』に採録される遥か以前の縄文の頃にその原型となるような信仰祭祀があったのかもしれませんですね。

 

ところで、土器に付けられた人面装飾ではそれほどはっきり出産などとの関わりが見えないとしても、装飾して「なんだか和むなあ…」といったものもありますですね。例えば、このような。

 

 

 

下の方はいささかシミュラクラとも思えるような気もしますが、縄文の人たちは何を思ってこの造形?と思い巡らしますと、ともあれ装飾性に関する縄文人の豊かな発想がここでも感じられるところではありました。展示は(小さめのスペースと言いつつ)これ以外にも人面装飾土器に関わって、さまざまな紹介がありましたですが、とりあえずはこの辺でひとまずお開きに。