しばらく前(といってももう20年以上経つのですが)に「外務省は伏魔殿のよう」とコメントした政治家がいましたけれど、これっておそらく外務省だけの話ではないのではなかろうなあ…と考えたことを思い出したのでありますよ。折しも『明治伏魔殿』という短編集を読んだものですから。

 

 

古来、まつりごとを扱うあたりには常に伏魔殿性がつきまとったものとは思いますけれど、現在につながる行政機構といいますか、官僚機構といいますか、その転換点にはやはり明治があろうかと思うところです。この間法務省の法務史料展示室を訪ねたというお話の中で大津事件に触れましたように、かつては政治家の側が「こうしたい、ああしたい」との思いの強さから辣腕、剛腕を揮って、いわば「政治の私物化」があったりもしたわけですけれど、今の時代、その側面もありましょう一方で、たびたび首のすげ変わる大臣がどう思おうと、これをよそに官僚の側が既定路線をごり押しするような側面もありましょう。冒頭の政治家発言もこのあたりに関わってのことでありましょうね。

 

と、現在のことはともかくも、世の中の制度や仕組みが一気に「コペルニクス的転回」を遂げることになった明治。とかく近代化の光の部分ばかりが強調されて、明治100年、さらには明治150年とやたらに明治を良しとする雰囲気もあったりしますですなあ。さりながら、光が強くなれば当然に闇が濃くなるとは、三文小説家の陳腐な表現ではありませんけれど、確かにその側面はあったでしょうから、そっち方面に目を瞑ってしまうのは適当では無い歴史認識ともなりましょうね、きっと。

 

考えてみれば、風刺的な意識も旺盛に持ち合わせていた小林清親が描いた「光線画」は、江戸期のろうそく、提灯、行灯に代わって煌々と街灯が点る明治を象徴するようであって、その実、闇の濃さを浮き立たせることにもなり、そっちの方に清親の思いはあったのかも…などと勘ぐってしまったりもするところです。

 

で、その清親の弟子にあたる井上安治の『駿河町夜景』を表紙に用いた本書は、世の中をひとつの面でばかり見ていてはいけんなあということを思うことになりますね。視点の持ち方として、敵対する勢力の敗者側(やおら明治という世になったばかりの、かつて将軍のおひざ元であった江戸の状況とか)に目を向けることもありますし、歴史の教科書のように大きな事件などばかりを追いかけるのではなくして、その時その時のいわば庶民の捉え方を追ったりすることも欠いてはいけんことでもあろうかと。「開化奇譚集」という言葉が添えられた連作短編5編は、まさにその視点の多様性が感じられるところでもありますよ。

 

いたずらに称揚するでなく(実際に褒められたものではない施策もたくさんあったわけですし)、かといって全体を一括りに闇雲に批判するではなく、明治と相対した方が歴史認識を誤らないようにできようなあと思ったりしたものなのでありました。それにしても、教科書では見えてこない藩閥政治のありよう、いやはやではありますねえ…。