先にお江戸の御家人を扱った小説「半席」 を読んだところ、ふいと思い出したことが。
杉浦日向子の何かしらを、予て読んでみようと思っていたのだったと。
かつてNHKの「お江戸でござる」に出ていた人ですので、
何のことはない、単に江戸つながりで思い出しただけ。
でもって、何を読んでみたいと思っていたのかをよくよく思い出してみれば、
これが実は江戸の話ではなかったのですなあ。
「YASUJI東京」、明治以降のお話なのでありました。
「YASUJI」といいますのは、画家の井上安治のこと。
明治の初めに東京各所を描いた版画家(浮世絵師)なのでありますよ。
江戸の時代から町の景観を写し取って見せる浮世絵は、
例えば歌川広重 の「名所江戸百景」のような作品がありましたですね。
この広重の名を受け継いで三代目が出る頃には明治の世となっていて、
東京の景観、風物を描いた三代目広重の絵も残されていますけれど、
むしろ「明治の広重」とも呼ばれたりするのは小林清親 の方であるようで。
広重の「名所江戸百」(それ以外の作品でも、ですが)では極端な構図のデフォルメを用いて
見る者に「え?」と思わせるようなところがありましたけれど、
清親の作品は光と影の使い方の独自性から「光線画」として世に知られます。
いずれも見る人に驚きをもたらす点では、
清親こそ「明治の広重」といわれる所以でもありましょうか。
で、井上安治ですけれど、その小林清親の弟子だったのですなあ。
おそらく作者の名前を知って作品と向き合うのが、
個人的には井上安治の方が早かったために師弟関係とかいう年代感が
ピンとこなかったからかもしれません。
とまれ、安治は清親の弟子として散歩にはいつもつき従い、
絵に関しても「光線画に優品を残した」とWikipediaにあるくらいに
師匠の作風を身につけていったのでしょうかね。
ですが、これまた個人的には安治の作品と「光線画」というのが
必ずしもスムーズに結び付かないのですなあ。
清親の光線画で印象に残っているのが極めてインパクトの強い光があるからなのかもです。
安治の作品は、一見して強い印象を残すというものではなくして
じわっと来る感じといったらよいのかもしれません。
ときに「YASUJI東京」は、主人公の女子学生(作者の投影でしょうか)が
現在にいて井上安治を回想するときに、時折安治の生きた明治の東京を遥し
安治の影を追うというようなお話(の筋があるような、ないような話)。
ちなみに念のためですが、漫画作品です。
ところで、その話の中で明治期に活躍した浮世絵師(風景画家)の
個性に触れているところがありますので、ちと引用してみようかと。
三代広重は明治の東京に新時代の歓喜を見た。清親は変わりゆく東京に万感の想いをこめた。安治は ― すっぽり抜け落ちている。画者が見えない。
…安治の網膜に映った風景。たしかにこれは絵ではない。まして写真でもない。百年の時を貫き東京が見える。 ― 窓だ。
三代広重はその歓喜を鮮やか色彩で表したのでしょう。
清親は光の溢れるさまに変わりゆく東京を見たのでもありましょう。
そして、安治は…。
これまで井上安治の生涯を気にかけたことはなかったですが、
26歳にして脚気が原因で亡くなってしまったそうな。
当時は脚気が大流行して伝染病説などもあったそうでありますね。
とまれ、夭折の天才とまで言えるほどには知られていない井上安治がもそっと長生きだったら、
画風をどのように変えていったでしょうか。興味の尽きないところですけれど、
20代にして恬淡たる画風と言いますか。すでにしてこれが井上安治だったのかもしれません。
と、気付いてみれば安治を追いかけていた作者自身、46歳で亡くなっておりましたなあ。
こちらまで夭折とは言いませんけれど、本作の中で住まいの窓から眺た東京を、
ビルが並び立つさまから「お墓と似てる」と主人公につぶやかせる感性は
なかなかに得難いものがあるような気がしたものでありますよ。