久しぶりに時代ものでもと手にとりましたのが青山文平の連作短編集「半席」。
と言っても、ずいぶん前に新聞書評に載っていたのを思い出したからであって、
作者のことも全く知らなかったのですけれど。
しかしまあ、江戸の世もなかなかに生きていくには大変な世の中であったようですなあ。
戦国乱世を経て(表向き?)天下泰平となったものの、これを治める幕府というのは
武家の組織であって、番方(武官)と役方(文官)が併存する機構であったわけで。
大きな戦闘が無くなった世界では自ずと役方の比重が高くなるところながら、
役方であろうと「武士」という看板を捨てていない中ではどのように生きるかは
結構な悩みどころでありましょう。
そこで割り切って、役方としての出世をこそ願うという人たちも出てくるところで
(これは個人の思い以上に「家」を守るためでもあったのでしょうけれど)
このあたりのどこに対してもぺこぺこしてるふうが性に合わないと
浪人を決め込んだりする人もおり、山本周五郎 の「人情裏長屋 」に出てくる
松村信兵衛(TV「ぶらり信兵衛 道場破り 」の主人公ですな)などが後者ですな。
そして「半席」の主人公、徒目付の片岡直人は前者の方。
だいたい「半席」といいますのが、家柄としてもそっと頑張らないと
御家人(御目見未満)から旗本(御目見以上)になれないという状況なのだそうで。
直人の父親はいったん御目見以上の役職に就くも、
異動してもう一つ御目見以上の役に付かねば
永々御目見(代々旗本として認められる)の家格になれないところ、
ひとつの役職きりに終わってしまったため、息子の直人は御家人からやり直しということに。
直人の現職である徒目付は御目見の一歩手前というところで、
ルートとしては勘定奉行配下の勘定という御目見の役につければ
親子二代の合わせ技で永々御目見となり旗本の家格をゲット!となるとなれば
周囲の期待高しというわけでありますよ。
直人本人も当然にそのつもりで「目指すは勘定!」
と勘定方から引き抜きの目がかかるよう徒目付の仕事に精勤する毎日。
では、御家人と旗本ではどれほど違いがあるのかと言いますれば、
単純に言えば収入なのですなあ。
基本的に収入の規模は米の量で測られていた時代ですから、
その多寡が生活レベルを左右するのですけれど、米価は作柄の豊凶によって大きく変わってくる。
話の中でも、豊作であったがゆえに米相場が従来の半値にまで暴落したがために、
実収入が半減してしまった生活が立ち行かず…といった挿話が出てくるのでして。
状況によっては等しく収入が半減するとしても、元よりかつかつの生活のであるのか、
いくらか余裕のある総収入であるのかは大きな違いになりますから、
今でいう「勝ち組」になりたいと、その方面での努力に余念の無い武士たちがいたのでしょう。
出世争いみたいなものは昔から変わらずあったのですなあ。
とまあ、そんなあまり描かれない武士の世界の一面を知ることができるわけですが、
話の仕立てはそれだけではないのですね。謎解きです。
当時は「こいつがやったんだな」という、裁く側にとって一見疑いようのない見立てと
あとは自白があれば罪が決まってしまったようで、理由が問われることはなかったようで。
「なぜ、やってしまったのか」という理由ですな。
ですが、刃傷沙汰のようなことがあった場合、被害者やその家族にしてみれば
「なぜ刀を向けられればならなかったのか理由が分かりない」では収まりにくいところかと。
表向きのお沙汰ではそこらへんに踏み込むことが無いとなれば、
裏に回ってちょいと調べてはもらえんかとなる。
そんなお頼み御用を主人公は時折受けたりして、見事にその「なぜ」を明かすという。
そこにはだいたい人情の機微が底にあるわけで、そこいらは読みどころでもありましょう。
ただ残念なのは情景描写の点でもの足りない点でしょうかね。
先に名前を挙げた山本周五郎を読んだときにはその情景描写に「ほお」と思って
引用したりもしたですが、そうしたところが薄いのがなんとも…なのでありましたよ。