しばらく前のスカパーの無料放送日にホームドラマチャンネルで
「お助け信兵衛 人情子守唄」というドラマを録画しておいたんですが、
かなり前によく見ていたことのある「ぶらり信兵衛 道場破り」という時代劇ドラマと
同じ趣向のものかいね?主演は同じ高橋英樹だし…と。


裏長屋に暮らす浪人者の松村信兵衛(高橋英樹)はいつもごろごろしてばかりいるのに、
いざとなると同じ長屋連中の面倒を一気に引き受けてくれるという頼れる存在。
皆が「先生、先生」と呼ぶのも、感心半分、おだてのからかい半分みたいなところでしょう。


で、この信兵衛先生の生業はといえば、
長屋の者は誰も知らないことながら大変な剣の腕前であることを活かして
江戸各所で賑わう剣の指南道場に「道場破り」に赴くというもの。


師範代あたりを気合ひとつで打ち負かし、師範の登場を促すと
門弟の手前負けられないが相手の手ごわそうなのにはすでに師範はたじたじ。
しばし睨み合ったと思うや、信兵衛先生、やおら「参りました!」と頭を下げるのでありますよ。


別室に招じられた信兵衛に対して、

面目を保ってくれた感謝の気持ち(小判ですな)がこそっと渡されるという仕組み。

れで信兵衛は長屋連中の店賃を肩代わりしたりするという…。


まあ、そんなお話なんですが、道場破りのくだりは毎度お馴染みのパターンながら
水戸黄門の印籠同様にマンネリの痛快さとでも言いますか、見ていて楽しいところなのですよ。
長屋の連中との人情絡みにほろっとする話もあったりしましてね。


ところで、このほど録画しておいたという「お助け信兵衛 人情子守唄」は特番枠でちと長め。
裏長屋に住む主人公の松村信兵衛が道場破りをして、長屋の連中を手助けしている…と
基本線はおんなじながら、決定的に違うのが全体のトーンなのですな。
「ぶらり信兵衛」があっけらかんとしたコミカルさを基調としているのに対して、
「お助け信兵衛」の方は至ってまじめなふうな、そういうムードが漂っているという。


近所で夜鷹蕎麦を営む重助じいさんの孫娘であるおぶんが
(「ぶらり信兵衛」をご存知なら「♪おぶんは十八、まごむすめ」という主題歌が浮かぼうかと)

信兵衛の身の回りのあれこれに世話を焼いているのですけれど、

朝餉の膳を供した折に「先生はいつもきちんとして召し上がるのね」と言うおぶんに

信兵衛曰く「侍は何も生まない」と。


百姓も職人もみな何かを生み出していて、

それを使わせてもらっているばかりなのが侍だというのですな。
だからこそ、食事をいただくにも感謝の気持ちを忘れずに

きちんと正座して膳に向きあうということなのでしょう。


世の中の仕組みから言えば、侍は何も生まないけれども世の中が
うまく回るような仕事をしているのだというのが侍側の理屈になるのかもしれませんですね。
世の中の規模が大きくなるとそうした役割も必要になるのではありましょうけれど、
俄かに解せないのはそうした役割の者が上に立っている、偉いのだという考えでしょうか。


いかに世の中をうまく回したにせよ、生み出されたものがなくっては回しようがない。
そのことをどうやら失念しているのか、考えないようにしているのか…。


風潮としては現代においても働くという点で、とかくホワイトカラーの方がえらいといったような、
よく考えれば何の根拠もなく、それこそ何も生み出していない仕事を有難がるのような

傾向があるのではなかろうかと。


何も生まないことが仕事として成り立つ理由や背景に考えてみることのおよそ無い中で、
江戸時代の侍だけの話じゃあないね…と思うのでありますよ。


とまあ、そんなことを考えたりする話であったわけですが、
どうやら原作は山本周五郎の「人情裏長屋」という話であるそうな。
ちょいと前に見た映画「いのち・ぼうにふろう」 も時代劇、人情話であると同時に

考えどころのある話で、やはり原作は山本周五郎でありました。

奇しくも2017年は没後50年だそうですから、ちと読んでみますかねえ。


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