しばらく前に、山本周五郎原作の映画 を見たりしたことから「人情裏長屋」 という短編集を読み、
作品ごとに変幻自在さを感じたものでしたけれど、「長編はどうであろうか」との思いから
いつかはきっと手にすることになろうと思っていた作品がありまして。
なにぶん、新潮文庫で400頁あまりの3巻本。
読み始めるにはちと臆するところのあった「樅ノ木は残った」なのでありました。
ですが、長尺であることの心配には及ばず、ふだんから遅読な者が思いもよらぬペースで読了。
読後の開口一番としては「こりゃあ、大した小説じゃあ」と言ってしまいたくなりましたですよ。
何がそんなに?という点ではざっくりふたつの側面がありますですね。
ひとつには歴史に疑義を唱えて作りだした虚構の妙といいましょうか。
徳川四代将軍家綱の時代ですから、
まだ江戸の治世が落ち着いたのか、まだなのかという頃あい。
そんな時代を背景に「伊達騒動」が持ち上がるのですけれど、
仙台藩の内部抗争であるとともに、幕府としては雄藩取り潰しの機会とも見えたわけで。
そんな魂胆を隠した幕府老中の酒井雅楽頭は伊達の一族である一関藩主・伊達宗勝に
仙台藩を分割して半分領地を与えることをそそのかして、ことあるごとに内紛を促す。
一関藩3万石といっても要は伊達仙台藩の分家の主にすぎない宗勝としては
本家62万石を割ることになっても、なんとか息子を30万石の大大名にしたいと
そそのかしにもって暗躍するわけです。
ここに登場するのが原田甲斐宗輔という人物でありまして、
どうやら歴史の叙述では伊達宗勝に寄り添って藩内撹乱に手を貸し、
業を煮やした仙台藩堅守のグループが宗勝らの横暴を幕府に上訴するに及んで、
評定に臨んだ堅守グループと斬り結び、自らも斬られて果てた…となっているのですな。
その悪人ぶりは、やはり伊達騒動に材をとった歌舞伎「伽蘿先代萩 」で
はっきり悪者役の仁木弾正のモデルともされて、長く江戸期を通じて知れ渡ったことでありましょう。
…なのですが、「樅ノ木は残った」の主人公はこの原田甲斐でありまして、
なんとまあ、仙台藩62万石の安堵を心に期して、分割を企てる宗勝一派にはシンパと思わせ、
敵の懐に潜り込んで画策に相務めるという人物として描かれるのですなあ。
そのためには仙台藩堅守のグループにも本心は明かさず(敵を欺くにはまず味方から、ですな)
変節漢よばわりの風当たりにも宗勝側にくりかえる起こる疑心にも耐えて耐えて耐え抜く、
孤高の人物になっているのでありますよ。
と、こうした逆転の発想的な仕立てを最後の評定の場で斬り結ぶところまで破綻なく
長尺の物語として語り切るのは大したものだと思わざるを得ないわけです。
そして、原田甲斐をこのような陰影ある人物として描いて納得させる、
特に従来の印象とは全く異なる原田甲斐像を「あるかもしれん」と読み手に思わせるには、
もちろん小説として想像で書き加えたにせよ、人物像の補強が必要になりますが、
取り巻く人々と原田甲斐との関わりも含め、よく練ったなあと思えるのですなあ。
ちょいと前に2時間くらいの枠で作られた時代劇スペシャルドラマ的「樅ノ木は残った」を
見たことがありますけれど、これではどうも通りいっぺんの話にしかなっていなかったような。
(確か原田甲斐役は田村正和ではなかったかと)
ですので、こうした短い寸のもので
山本周五郎作「樅ノ木は残った」はこういう話と受け止めては間違いのもと。
やはり小説で読むべきでもあろうかと。
先には多彩な短編に「ほお」と思い、このほどは長編に「おお!」と思い。
折しも没後50年になる山本周五郎という作家はもそっと思い出されていいのかもしれませんですね。