…ということで、TV時代劇ドラマ「ぶらり信兵衛 道場破り 」の原作、というより原案で、
「お助け信兵衛 人情子守唄」の方の原作である山本周五郎の「人情裏長屋」、

これを収めた短編集を読んでみたのでありますよ。


長屋ものを中心にまとめた一冊ですが、「人情裏長屋」がタイトル作になっているのは
ドラマ化された影響だったりするのでしょうかね…。


人情裏長屋 (新潮文庫)/山本周五郎

山本周五郎という作家は時代ものばかりを書いている印象があり、
またちゃんちゃんばらばらの活劇っぽさよりはしっとりと市井の人々を描き出す…てなふうに
読んだことが無いわりには思い込んでいたのですね。


唯一これまでに読んだことのあるのは、田沼意次を扱った歴史小説「栄花物語」だけで、
全くの創作ではない、こうした歴史ものは例外なのかなと思っていましたら、そうではないようで。


また、今回手にした短編集を読み進めてみれば、先の印象があっさり覆されて、
話の内容も語り口も何とも芸域の広い人なのであるなと思ったのでありました。


今年2017年が没後50年という山本周五郎、生年は1903年だそうですから明治36年生まれですな。
そろそろ江戸の名残りが遠く感じられたりもする頃かと思ったりしますが、それはおそらく都会の話。
山梨県の初狩(大月のお隣ですね)では江戸期の雰囲気は多分に残っていたのではないでしょうか。


しかも、山本が生まれた当時の生家は家運が傾き気味で、

当人も長屋住まい、間借り住まいの経験が長かったとなれば、
その辺りはたっぷり後の作品に活かされることになったのでありましょう。


江戸、でなくて東京に奉公に出てからは講談や落語に親しんだようで、
そんな講談調の語り口で終始する作品もあって、それはそれで楽しいものでありますよ。
そして、落語の噺が古びることがないのと同様に、時代ものの話というのは
すでにして昔のことが背景となっていることは予め分かって読む分、
反って古びないような気もしたものです。

…外はさびた紫色にたそがれていた。勝手口からの煮炊きの匂いや物音や、子供たちの騒いでいる路次をぬけ、八丁堀の河岸っぷちへ出ると、そこだけ明るい水面から、冷えた夕風が吹きあげて来た。…そして、黒ずんでいく黄昏のなかで、早くも掛け行燈の灯が、橙色にうるみだした、魚金の店へと入っていった。

これは「秋の駕籠」という作品からの一節ですけれど、
いやあ情景がよく思い浮かんでくるのではなかろうかと。
確かに今現在そこらで見られる光景ではないものの、それこそ八丁堀の向こう岸、
佃島 の辺りでは近い風情を醸す夕暮れどきにはお目にかかれそうな気がしますし、
昭和の後半を知っているくらいなだけでも懐かしさを感じたりするところではないでしょうか。


一編、一編に細かに触れることはしませんですが、どの話にもそれぞれの味わいがあって、
芸術作品というのとはちと違うとはいえ、戯作者気質が生きているとでもいいましょうか。
短編発表の段階では、例えば折箸蘭亭とか酒井松花亭とかいうペンネームを使っているのも
遊び心に溢れたところかと(前者は「おれは知らんでえ」、後者は「酒一升買ってえ」と読める)。


市民図書館には必ずある文庫コーナーに、
必ずといっていいほどずらり作品が並んでいる山本周五郎は
かつてはたくさんの人に読まれていたことの証でしょうか。


今ではさほどではない…とは個人的にも同様でしたですが、没後50年ということでもあり
また時代ものの映画が年にひとつやふたつは作られたりしている時世でもあり、
山本周五郎にもまた目が向けられる機会であったもよいのかも知れませんですね。


最後に「雪の中の霜」という作品の中の一節を引いて、
どうも足踏みばかりしている気配の「春」をちょいと先取りで思い描いてみるとしましょうか。

まさに春暖である。
遠い山にはまだ雪が見えるけれども。畑には麦が伸び、菜の花が咲きかかっている。道端には草の芽がやわらかく萌え、林も薄紫に霞んでみえる。日は暖かく、風も……風は少しあるが、いかにも春らしい軟風で、歩くには却って爽快なくらいだった。

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