またしても市立図書館の新着図書コーナーで見かけて、ついつい。「対決の東国史」シリーズを手に取るのは「足利氏と新田氏」「北条氏と三浦氏」に続いて三冊目となりますな。今度は「鎌倉公方と関東管領」という一冊でありましたよ。

 

 

大河ドラマではありませんが、源平合戦が壇ノ浦で終幕を迎え、その後義経が追放され、頼朝が、頼家が、実朝が亡くなるに及んで以降の鎌倉時代は、いわば北条の天下といってもいい世の中になるわけですが、その後のことには全く詳しからず。北条時宗を主人公にしていた昔の大河ドラマを見ていましたので、瞬間風速的にその頃のことを少々知るのみで、あとはそれこそ「打倒鎌倉!」が叫ばれた時代までうやむやに陥るという。

 

さらに新田義貞が鎌倉を攻略して、南北朝と室町幕府の始まりあたりは吉川英治の『私本太平記』を読んで流れだけはつかまえているとは思うものの、どっぷり室町時代はやはり藪の中といいますか。理解は、いつしか戦国の世に移ったあたりはすっとんでしまうわけです。

 

そんな具合ですので、室町時代に鎌倉公方と関東管領という立場の人たちがいた…ということは知っているにせよ、「なんだかこの二人、仲が悪いのお」という程度のことしか意識しておらなかったのですな。そんなところへこの本ですので、いやあ、元々からして仲が悪いわけではなかったのだあねということを知ることになったのでありますよ。

 

そも足利尊氏による室町幕府はその中枢が京都・室町に置かれたがためにその名があるわけですけれど、もしかすると尊氏は鎌倉にこだわりがあったのではないかなとも思ったり。鎌倉の、いわば北条幕府は打倒されねばならなくなったとしても、天皇は京都におわしてそれなりの役割を果たしてもらうにしても、武家の本拠はやっぱり鎌倉にあってこその「武家の棟梁」てな思いがあったのでは想像するのでして。

 

そんな重要な場所との思いがあればこそ、「鎌倉公方」なるものを置いたのでもありましょう。当初、そこに息子のひとり足利基氏を配したのも同様の思いでしょうけれど、果たしてこれが基氏の系譜による世襲で受け継がれていったのは果たしてよかったのかどうか。どうしたってもうひとつの足利将軍家みたいになってしまいますものね。

 

それでも始めのうちは、室町の将軍家に配慮があった鎌倉公方ですけれど、関東のことは遠い京都を頼むよりも鎌倉でなんとかしなければならないことも多いわけで、それがうまく収まれば収まるほど、室町としては関東に野心ありと疑心暗鬼になって、鎌倉公方の力を削ごうとする。一方、鎌倉では力を削がれては収まるはずの関東が収まらなくなる…と、溝を深めていくことにもなったのでありましょう。

 

と、そこで関東管領の役割ですけれど、もちろん関東にあって鎌倉公方を支える立場とはいえ、任命権は室町が握っているのですな。室町と鎌倉、どちらによりいい顔をすれば良いのか、実に微妙なところもあるわけです。ともに関東にあって足利の世をうまく収めたいわけですから、協力関係は欠かせない両者ながらどうも室町の企ても絡んで、実に実に面倒な関係に陥っていった…と、ざっくりですが言えないこともないような。

 

結果的には四代目の鎌倉公方・足利持氏と時の関東管領・上杉憲実の対立から永享の乱となり、将軍・義教が持氏追討を命ずるに及んで、鎌倉公方は断絶。関東は混乱の巷と化すのですなあ。一足早く戦国の世に突入したといいますか。10年ほどを経て、持氏の子・成氏が鎌倉公方となるも、やがて本拠を下総古河に移さざるをえなくなり、むしろ古河公方との呼び名で知られておりますな。

 

これに対抗して幕府の方からは義教の子・政知が鎌倉公方に任ぜられるも、鎌倉に入ることができずに伊豆堀越に留まったことから、こちらも堀越公方という呼ばれようで知られるわけです。

 

関東管領の方は上杉が世襲しますけれど、こちらはこちらで縁戚関係が手広く広がりすぎたか、個々の家どうしの争いが絶えず。太田道灌が活躍した扇谷上杉家もそのひとつですが、道灌は身内によって暗殺されてしまったりもするのですものねえ…。

 

と、いささか本書の範疇を超えるところまで話を広げてしまいましたですが、これまでうやむやの中に放っておいた鎌倉公方と関東管領の関係、そして室町将軍家との関係、これらに対する理解の助けになった本書なのでありましたよ。